甘い唇は何を囁くか
それは、夏の暑い夜のことだった。

闇の時間は短く―、男も女も愛を語らいあうには足りない。

そんな季節のその日、シスカはいつものように
ユリーカへ愛の言葉と贈り物を届け、煉瓦の小路を歩いていた。

街路灯に火が燈りはじめ、辺りはゆっくりと闇におちていく。

小路の先には馬車を用意してあり、
あの酒場を出てからその小路を行くのはいつものことだった。

唯一、日々の喧騒から解き放たれる時間であり
彼女との僅かな語らいの時を彷彿する事のできる時間でもあった。

「ねぇ。」

と、声をかけられたのはシスカがその小路を半分ほど行った頃であった。

鈴の音のように耳をくすぐるその声に、シスカは聞き覚えがあった。

跳ね上がった胸を押さえて振り返る。

長い銀色の髪に、美しいレモンイエローのドレスを着た、ユリーカが其処にいた。

「…ユ…!」

ユリーカと、名を口にすることも躊躇われるほどの美しさに、
シスカは眩暈を覚えた。

誰かを追ってきたのか、それとも誰も知らないユリーカの屋敷へ帰るところなのか―。

まさか、自分を追ってきたなど思いもせずシスカは自分の周りを見回した。

いや、自分だけしか、此処にはいない。

「貴方を追って来たのよ、シスカ。」

その声は少し笑顔を含んでいた。

「…何故?」

ユリーカは、ふふっと声に出して笑った。

「何故?貴方ったら、自分がどれほど私に求婚していたか忘れてしまったの?」

夢を見ているのだろうか―。

困惑した頭の中は、激しく鼓動を繰り返す心臓と同様に落ち着く気配は全くない。

ユリーカが自分を追って来た。

あまたの男たちを置き去りに、誰にも靡く事のなかったあのユリーカが…。

ユリーカはふいとシスカに背を向けると歩き出した。

小路の更に脇道へと入っていく。

誘うように振り返ると、ユリーカは魔物のように微笑んだ。
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