甘い唇は何を囁くか
第6章「熱い身体」
信じられない。

この俺に、あんな言葉をぶつける事のできる人間がいたとは―。

伯爵だった時には権力が、ヴァンパイアになってからは魔力が効いて
逆らうものはおらず、人間は常にしもべであり、そうでなければ食物でしかなかった。

ましてや、自分を置きざりに立ち去った半裸の小娘は、名前も名乗らなかった。

この俺に名前も名乗らぬとは―。

いいや、名乗られたからといって、その名を記憶にとどめるようなことはない。

ならば、良い。

関係ないのだ。

そもそも、助けてやったことも気まぐれ―、そうだ、あの小娘、この俺に何と言った?

人として礼は言っておく―、何たる無礼だ。

ああ、気まぐれであってもあんな小娘、助けたりするのではなかった!

悶々と頭の中でそうした問答を繰り返し、シスカは再び酒場に戻ることに決めた。

もう一度、煽らねば冷静になれそうにない。

熱を感じるはずのない身体が熱くなりだし、また渇いてくるのが分かる。

酒を飲み、それからもう一度この空腹を紛らわそう。

そう決めて、遼子の入って行ったホテルを見上げた。

何故―。

俺は、あの小娘がこのホテルに入るまで、後をつけたりなどした…?

なぜ―。






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