甘い唇は何を囁くか
その夜、シスカは寄ったことのない小さなバーにいた。

町のはずれにあるせいか客の姿も少ない。

今日は食事をする気持ちにもなれない、それなのにふとするとあの女のことを考えている自分がいてたまらなく困惑する。

あの女のことを思い出すと、身体が熱くなるような気がする。

そして、渇く。

それなのに、獲物は欲しくない。

欲しいのは…。

そう思い至って、また酒を煽る。

そんなわけがないと頭の中で否定するために。

「大丈夫かね。」

ふいにかけられた声に、自分に対する声かけなのだと理解する迄に少しの間があった。

振り返るとそこには老人と男が立っている。

「お前は…。」

昼間の―。

そう続ける前に、老人はシスカの隣に腰掛けた。

「私にも彼と同じものを頼むよ。」

バーテンダーにそう命じると、さてと言いこちらを見遣る。

「もう気付いているのかな、私のことを。」

老人の隣に腰掛けた男はこちらを見張るように突き刺さるような視線を流す。

シスカはもしかしてと、疑うような気持ちで、不可思議にも少し喜びを含んだ声で問いかけた。

「あんた、も…ヴァンパイアなのか…?」

老人はふふと小さく笑い、運ばれてきた酒の入ったグラスを手に取った。

「我々には、こんなものは無意味だが、不安を隠すために煽るには丁度良い。」

グラスを傾けるとカランと氷が音を奏でた。

「私はバンジェス、彼はククイだ。よろしくシスカ君。」
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