甘い唇は何を囁くか
シスカには、その感情を理解することはできなかった。

できるわけがない。

人間に対し、そんな感情を抱くなんて…もとより、人間であった頃あった愛情や恋情などと呼ばれるものはもう自分の中のどこにも存在していない。

ヴァンパイアになったあの時から―。

「君には、まだ理解できないだろうね。それは、私も同じだった。あの時、私は自分が感じている感情が、愛というものであるとは思いもしていなかったんだよ。」

「なら…何故?」

「何故、気がついたのか、ということかね?」

シスカの問いに、バンジェスはふっと微笑んで言った。

「ある日、女が来たのだよ。」

「…女?」

「そう、女だ。ある夜、私の前に現れたその年老いた女は―、自分の名を名乗り、そしてヴァンパイアだと名乗った。」

シスカの瞳をじっと見つめて、バンジェスはその眼差しに力をこめた。

「君の前に現れた、この私と同じ。」

そう続けると、ククイの方をちらりと見遣る。

それだけで分かったのか、ククイは鞄からひとつ手帳を取り出してバンジェスに差し出した。

それを受け取りながら、バンジェスはシスカの方を向くこともせず話を続ける。

「私もそれまで、自分と同じヴァンパイアという種族を見たことはなかったからね、酷く驚いたし、疑ったよ。今、私が君に言ったことと同じことをその人は私に言った。そして、こう言ったのさ。」

手帳をパラパラと捲ると、バンジェスは顔を上げた。

「お前は、運命を見つけたのだ、と。」



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