甘い唇は何を囁くか
その整った顔立ちが、悲痛にゆがんでいるのを見ていると、どうにも母性本能がくすぐられて困ってしまう。

もう、いいかと思ってしまいそうで遼子は男の顔から目を逸らした。

好きなのか、それともただ強引さに押しやられているだけなのか…。

何も知らない小娘でもないし、一度きりになったって…別に減るもんじゃないし…。

頭の中は、よからぬ妄想まで浮かんできている始末。

とにかく、この人から離れて、よく考えないと…。

そう思っているのに、男はまた遼子を抱きしめてきた。

それもぎゅっと、もう離したくないというほど…強く。

苦しいほどに。

「い…いたっ…。」

背骨がバキッとかいうんじゃないかと思った。

遼子のか細い悲鳴を聞いて、ようやく男は腕の力をほんの少し緩めた。

「…しい…。」

「…え?」

聞き取れず、問い返して遼子は顔を上げた。

男の顔が近付いてくる。

あ、キス―…だめだ!

遼子は再び顔を背けた。

だが、強引に、顔を男の方に向けられて、唇を塞がれる。

噛み付くような、貪るような、熱くて、蕩けてしまいそうなキス。

こんなの知らない。

「ん…ふ…っ!」

食べられてしまうのではないかと思った。

さっき、宗眞にされたフレンチキスとは大違いで、これまで遼子の経験したどんなキスとも違う。

唇から、遼子自身を食べていっているのではないか―。

「あ…っ」

ようやく、唇が開放されるまでどれほどの時間が経過しただろう。

どうして―そう問いたいのに、身体にまるで力が入らない。

まだ部屋にも入っていないのに、こんなホテルのエレベーターホールで、誰に見られるかも分からないのに、という羞恥心と、名前も知らない相手から、こんなに情熱的なキスをされたという興奮で、遼子の心臓はバクバクと激しい心音を鳴らしている。

男はなまめかしく唇を舐めると、囁くように言った。

「お前が、欲しい。」
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