真っ暗な世界で
「副長。準備が出来ましたので、行ってまいります」


斎藤が襖越しに言った。


「おう」


そう短く答えると、すぐに斎藤の気配は消えた。


俺は空になり、すっかりと冷たくなった湯のみを見つめた。


「……下げるか」


咲洲に頼みたいところだが、あいつに頼むと悪態やらなんやらを言いまくるから、後々面倒だ。


生憎、頼める奴がいない。


俺には、自分で下げるという選択肢しかなかった。


仕方なく腰を上げ、湯のみを盆の上にのせ、台所へとむかった。


縁側を歩くたびに冷気が俺の体を容赦なく包み込む。


……くそっ。さみぃな。


行く途中、平助の部屋が見えてきた。


灯りもついてあり、原田と永倉の声もする。


あの馬鹿ども……まだ起きてやがるのか。


仕事をしているならともかく、幹部が夜遅くまで話しているのはあまり良いことではない。


一つ注意しようと足を早めた時だった。


「この前さ、玲那が春について聞いてきたんだよ」


永倉がなんの気無しにそう二人に言った。


俺は思わず足を止める。


まさか、春のことが話題に出るとは思っていなかった。


あいつが総司と斎藤と俺……目が見えないことを知っている奴としか必要以上に関わろうとしないのとは知っていた。


だからこそ、ほかの奴等が春とどう思っているのか、ほんの少し、興味があった。


「あっ、それ、俺にも聞いてきたよ」


「俺にもだ」


平助と原田が偶然だな、といったように永倉に返す。


「それでさ、改めて春って謎だなって思ったんだよ」


「俺も!」


「同感だな。彗星の如く現れて、あっという間に土方さんの小姓兼観察方になっちまったんだもんな」


彗星の如く……か。


原田の言うことはあながち間違いではない。


ある日、突然俺達の前に現れて、近藤さんを魅了し、疑り深い俺すらもわずか半年で信用させた。


何故か、口もとが少し緩んだ。





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