真っ暗な世界で
昼食をとると、すぐに菊田さんにしごかれた。


三味線、お琴、唄にお座敷遊び、茶道、華道。


いづれも潜入捜査のために行った遊郭で人並みには仕込まれてあったので、そこまで苦労はしなかった。


「………ふーん、面白くねぇ」


「面白くない………」


「ずぶの素人だと、俺も遣り甲斐あったんだけど」


つまらなさそうに言う菊田さんに、どっかのコントのようにズッコケたくなる。


間違ってもそんな真似はしないけれど。


「ま、いいや。この店での決まり、教えとこ」


「取り敢えず、京ことば使えよ。出来るだろ?んで、お前は鹿恋な。何かあったら俺にいうこと。俺はあんたの番頭だからな。普通、鹿恋に番頭つかねぇけど」


鹿恋は鹿子位とも書き、かこいと読む。太夫、天神の次の位だ。ちなみに鹿恋の下が、位として一番下の端女郎。観察方としては良い位。


座敷の周りをくるくる回れる。お酒注ぐのを口実に。


「んじゃ、夕餉、持って来るわ」


「よろしくおねがいします」


頭を下げると、菊田さんが立ち上がり、この部屋から去る。


「……ふぅ」


無理して目が見えているようなフリをしなくていいし、こんなに楽な潜入捜査はない。


「………ほら、持ってきた」


「ありがとうございます」


コトンと置かれたであろう場所に手を伸ばすが それを菊田さんが制す。


「…………?」


「はい、口開けろ」


……………何言ってるの?自分が何言ってるか、分かってるの?


さも、当たり前のようにあーん、と食べさせようとする菊田さん。初めての羞恥に、体が震える。


「……………………お箸、ください」


「いや、これ、決まり」


どんな決まりなんだか。


「今、あんた、箸おろか、飯が何処にあるかすら分からなかったろ。それに、食べさせるの、ここの決まり」


「…………」


決まりと言われたら拒む事の出来ない自分を今すぐ呪い殺してやりたい。


「んじゃ、諦めて口開けろ」


仕方無く菊田さんに促され、口を開けると、その中にご飯が入れられる。


「美味しい……」


「んだろ。ほら」


もう一口、菊田さんに促され、口に魚の解れた身が入れられる。


美味しい。


この時代に来て、初めてまともに人の作ったものが美味しいと思えた。


久し振りの美味しいという味覚に僅かばかりの感動というものを覚えた。


「その様子じゃ、新選組の飯は美味くねぇって感じだな」


菊田さんがクツクツと笑って言う。


全く持ってその通り。


とてもじゃないが、美味しくない。


初めて食した新選組のご飯はそれなりの覚悟をしていたが、それを上回る不味さだった。


新選組は毎日火の車だし、食事に掛けていては他の部分が疎かになってしまうので致し方ないのかもしれない。


だが、あれは、ない。


私が作るようになり、かなり味は改善されたが、私が来るまであの不味いご飯を平気で平らげていたと思うと…………新選組には恐れ入る。


当時のことを思い出し、顔をしかめると菊田さんは、嬉しそうに言った。


「仮面が取れてきたな」


「………?」


「んあ?仏頂面じゃなくなったってことだよ。仏頂面じゃぁ、客は寄り付かねぇからな」


そう言ってまた私の頭をくしゃくしゃと撫でる。


「………お客の前で仏頂面はしません」


「………フッ」


………いま、菊田さん、鼻で笑った?


少しムカッとしたのは心の奥底に閉まっておくことにする。









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