聖乙女(リル・ファーレ)の叙情詩~奇跡の詩~
水の気配が近づいてくる。

水と水が水路を押し合いへし合い激しい唸りの音を立てて押し寄せてくるのを、セラフィムは感じる。

セラフィムが今静かに一人たたずむのは、レツェルト川とピューアの村をつなぐ、使われなくなって久しい空の水路の上だ。彼の視線はまっすぐに水路を追った先、遠目にも魔月がうじゃうじゃとはびこるピューアの村をみつめている。

彼の耳がかすかな水音をとらえる。

アクスが役割を果たしてくれた―長いこと閉じられたままであった水門を、その腕力で壊し全開にしてくれたのだ。

セラフィムは意識を集中させるために目を閉じる。

そして動く右腕を大きく広げる。

これからやろうとしている術を使えば自分がどうなるか、セラフィムは正確に理解していた。

腕を一本犠牲にして、すでに大きな術を使い続けている状態だ。そのうえさらに大きな術を使うとなれば、自分は間違いなく星麗としてのすべての力を失うことになるだろう。

それでも、やめる気はなかった。

今セラフィムを突き動かしているのは世界への想いではなかった。人々への想いでもなかった。たったひとりへの想いだった。

たったひとりの面影だけを脳裏に描いていた。

―フューリィ。

セラフィムの中で、フューリィは笑っている。

いたずらっぽい笑顔。照れ隠しの笑顔。おいしいと満面の笑顔。

その笑顔を、守りたかった。そのためならなんだってできる。この命を賭けても―惜しくないのだ。
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