聖乙女(リル・ファーレ)の叙情詩~奇跡の詩~
幾千万の森はその名の通り幾千万の虫たちが生きる喜びを歌う森だった。常に彼らの大合唱が響き渡っているのにも関わらず、神の寝床を思わせるしんとした静けさが漂う不思議な場所だった。

その静けさを破り、リュリエルは衣服の裾をからげて走っていた。彼女は逃げていた。追うのは狼の魔月の群れ。

リュリエルは誰も傷つけたくなかった。それがたとえ魔月でも、自分の命を狙っているのだとしても、傷つけたくなかった。だから森を覆う葉の傘がまばらになったところで、ついに赤い角持つ獣たちにはさみうちにされても、光の剣“アンジェル”を出せずに逃げ道だけを必死に探していた。

後ろからは、荒い獣の息づかい。

右は…だめだ、数が多すぎる。

左にも数匹、正面には体の大きな一頭がよだれを垂らして陣取っている。

振り切れる可能性があるのは、正面か――。

リュリエルがいちかばちか正面に足を踏み出そうとしたとき、青い閃光が彼女の視界を切り裂いた。

正面にいた魔月が閃光に貫かれ、ばったりと倒れる。その背後から現れる白いマントの人影。

ふわりと舞う黄金の短髪。躍動するしなやかな体。

―え……?

青い閃光が再び走り、次々と魔月たちを貫いていった。その光が人影の持つ剣であると気がついた時には、すべては終わっていた。

リュリエルは惚けたようになっていた。

これほどの剣の達人を知らなかったからだ。

いや、理由はそれだけではない。

倒れた魔月たちが呼吸をしていることに気がついたのだ。

光の剣で貫かれたのに、魔月たちは気絶しただけだったというのだ。そんな剣をリュリエルは知らなかった。
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