シーソーゲーム
Season1 不可思議シンドローム
 まず初めに言っておこう。これは物語ではなく、作り話でもなければ本当の話となる。いわゆるフィクションではなく、ノンフィクションである。

 これは俺が実際に体験した一年の経過であり、一年の思い出で一度だけの経験である。そして長いようで短い一年の記録でもある。

 俺はこの一年に不可思議な出来事や事件を経験し、あらゆる世界の諸事情を知った。初めは驚きを隠せなかったが、経験という名目のもとで理解ができた。人は必要とされるから存在し、恐竜は必要とされないから絶滅された。今、この世界にも絶滅した動物がいるが、それは人のせいとされるが、いらないものとされたからこの世から去った。

 このことを逆手に持つと、人間はいつ使い捨ての電池にされるか分からない。いつ絶滅されるか分からない。SF映画のように、突然の宇宙人の襲来や隕石の接近が起こるか分からない。実際の話、明日起こることかもしれないのだ。

 しかしそれは、現在の段階ではありえない。何て言ったって、今、この世に神という存在があるからだ。神が統治するこの世界には、世界の破滅はあれども人間の絶滅はない。神は人間だからだ。自分が最後に残るからだ。

 そして人は生きる。何も知らずに、会社へ行き、学校へ行き、買い物へ行き、家事を済ませ、勉強をし、いつものことを当たり前にする。人が新しくやろうと思うことなんて希であり、三日坊主で終わる。それは神が望まないことなのかもしれない。ダイエットをしたいと言っても、それは神や世界にとって、不都合なのかもしれない。今現在が不都合ではなくても、未来が不都合になることかもしれない。

 記憶喪失というのも同じ原理で、過去を失われるというわけだから、習った言語や知った物など、すべてを忘れるはずである。それも不都合だ。何を言っているか分からない迷える子羊みたいな人間を扱うのかは、想像するだけで心苦しい。そんなことで神は習得したものと思い出と呼ばれる二つの記憶を作った。

 まあ、そんなことはどうでもいい。これはあくまで神が行った過去のことと、これからやりうる未来のことである。
< 102 / 214 >

この作品をシェア

pagetop