TRIGGER!
「ほんの少し、身を隠すだけでいいって言ったのに・・・」


 訳が分からない異常事態に遭遇して、女はもう意気消沈している。
 それに関しては彩香も同じ境遇なのだから、共感する部分がない訳ではなかったが。


「・・・いつまでもメソメソ泣いてんじゃねぇよバカ女」


 肘をつき、窓の外を見ながら、彩香は言った。
 こういうのは一番ムカつくのだ。
 まぁまぁ、とジョージが割って入る。


「俺達は君を我が街まで送り届けるってのが仕事なんだけど・・・その後は行く宛はあるのかい?」


 心なしか、ジョージはいつもの口調よりも柔らかい言葉で女に話し掛けている。
 こんなバカ女が好みなのか、と、彩香は横を向いて舌打ちをした。


「えぇ。クラブ“パシフィック”に行けと、先生が言ってたから」


 やっと話をまともに聞いてくれる相手を見つけたからなのか、女はもう、車がどんだけ真っ直ぐに、他の車を突き抜けて走ろうが、何も言わなくなった。


「良かったら名前、教えてくれないかなぁ?」


 相変わらず温和な口調で、ジョージが言う。


「アリスよ」
「ありす?」
「お店で働くときは、この名前にしてるの。先生は本名を教えちゃったけど・・・あなた達、初対面だし怪しいし」


 余計なお世話だ、とツッコミを入れたいのを、彩香はタバコのフィルターをガジガジと噛みながら必死で我慢する。


「アリスちゃんかぁ。美人にはピッタリの可愛い名前だねぇ」


 美人なのか可愛いのかはっきりしろ。
 彩香は組んだ足を小刻みに揺らす。


「で、アリスちゃん。先生っつーのは?」
「衆議院議員をしている方よ。名前は言えないけど・・・あの温泉にお忍びで遊びに来て、あたしと知り合ったの」


 何処か得意げに、アリスは言った。


「そんなにキュートなら、俺でも口説きたくなるよ」
「あらそう? ありがとう」


 美人、可愛い、キュートときたもんだ。
 次は何だよ?
 彩香はもう、イライラするどころか笑いが込み上げて来そうになる。
 ジョージの言葉使いと、それを間に受けて喜んでいるバカ女が面白すぎて。
 風間はさっきからずっと黙りっばなしだが。


「で、そのエラーイ先生様は、どうしてアリスちゃんを安全な場所に匿おうとしたんだ?」
「それはねぇ、あたしが、先生とある人の会話を聞いちゃったからなの・・・」
「ある人?」
「何処かの親分さんだったみたい。よく知らないけど。で、ちょっと交渉が決裂したみたいで・・・その話を聞いていたあたしまで狙ってるみたいでさぁ。とばっちりよねー」


 あーあ、と、彩香は内心頭を抱えた。
 このバカ女、怪しいとか言ってこっちに本名を教えない割には、その怪しい奴ら相手にいらない事をペラペラと喋っている。
 それが自分の一番の失敗だと、気付かないのだろうか。
 こんな調子じゃ明日の朝あたり、海の上に浮かんでいてもおかしくはない。
 クラブ“パシフィック”と言えば、その何処かの親分さんの息がかかっている店だ。
 だが、彩香は別に何も言わない。
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