TRIGGER!
「俺のお願いってのは簡単な事だ。明日からお前には俺が管理する別のマンションに引っ越してもらう。それだけだ」


 短くなったタバコを灰皿に押し付け、峯口は言った。
 ライターに火を点けたまま、彩香は不思議そうに峯口を見上げる。


「それだけか?」
「それだけだ。もちろん、報酬は今まで以上に出す。時間の束縛もねぇ。あー心配すんな、言葉が通じねえ外国とかじゃねぇ。この街の外れにある、ちょいと古びたマンションだよ」


 古びてはいるが、管理も行き届いていて、住むのにはまるで問題はない。
 繁華街にも程近いし、彩香が一人暮らしをするには広すぎるくらいの物件なのだそうだ。


「――で?」
「何だ?」
「仕事ってのは?」
「俺のお願いってのはそれだけだ。二度も言わせるな」
「本当かよ」


 疑いの眼差しを向ける彩香。
 峯口建設の噂くらいは、彩香も多少聞いている。
 表向きはこの街きっての大手建築会社だが、その経営は多岐にわたる。
 飲食店、ブティックからパチンコ店、不動産経営まで。
 だがそれも、あくまで表向きは、という事。
 繁華街は特に色々な団体がひしめき合い、しのぎを削っている。
 そんな中でも、峯口陽介はまた有名人だ。
 陽の目の当たらない世界での暗躍。
 そうなるまでには、時には法を犯すこともあったのかも知れない。
 彩香にとって親子ほども年の離れたこの男は、その知名度、手腕、実力ともに、事実上この街のナンバーワンだ。
 そんな男が、何処の馬の骨かも分からない彩香に投資するのは、絶対に何か裏があるに決まっている。


「ま、疑うのも無理はねぇな」


 降参、というふうに、峯口は肩をすくめた。


「条件がある」


 ほらな、と、うんざりした様子で彩香は峯口を見上げる。


「マンションの住人とは絶対に仲良くする事」
「・・・意味わかんねぇ」
「ま、オッサンの酔狂さ」


 峯口は笑いながらそう言って立ち上がると、上着を取って肩にかけ、内線で風間を呼んだ。
 帰るから車を回すように伝え、社長室のドアを開ける。


「どうせ荷物も少ないんだろ? マンションにゃ生活用品は全て揃ってるし、明日の朝風間に迎えに行かせるからな。今夜何処に遊びに行ってもいいが、明日起こされたらちゃんと起きろよ」


 彩香が動かないでいると、峯口は出て行きがけに振り返り。


「本当に今晩付き合ってくれねぇのか、彩香?」
「勘弁してって言っただろ。二度も言わせんな」


 だよな、と峯口は苦笑して、社長室を出て行った。


「あ、待てよ!」


 タバコを揉み消し、彩香は慌てて峯口の後を追う。


「どうせ街に出るんだろ? ならついでに送って行けよ!」


 そう叫びながら。
 峯口は、偶然出会った彩香を駒に使うと決めた。
 そして彩香は。
 峯口陽介という一人の男との出会いにより、これから数奇な運命を辿る事となる――。
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