I love you に代わる言葉


 今井が帰った後、ボクは何をするでもなくただベッドに座り込んでいた。
 渋々といった様子で帰った今井は、玄関扉までの数歩程しかない距離で、何度もこちらを振り返って言葉を残していった。
 ちゃんと飯食えよだのちゃんと寝ろよだの明日は学校来いよだの、やたら煩かった。
 それからのろのろとベッドに向かって腰を下ろした。そうして何時間経過しただろうか。気付けば外が暗くなっていた。
 異様な静けさが何処か不気味でもあり空虚でもあり、孤独を強く感じさせた。それは今日、今井が此処にいたからかも知れない。今まで人を此処に連れてきた事はなかったから。気付けばいつも一人で、一人で本を読んで、誰かと他愛無い会話を此処で交わす事は無かった。だから誰かが居て、その誰かが帰ってしまうという体験は初めてだった。それは何とも表現し難い空虚。一人だったのが『独り』になったような。
 こうして静かに時を過ごし、幾らか落ち着いた頭で思考する。
 もしもボクが、おねーさんと出会っていなくて、今井ともあんな風に話をする事もなくて、今日此処に一人だったなら。ボクは間違い無く、あの女を刺しただろう。そして多分、その血を見て、ボクは声高に笑う。自責の念に苛まれる事も無く。
 ボクは立ち上がって、アメシストの傍まで寄った。
 おねーさんと初めて会った時を思い出す。こいつの破片で指を切って、手当てしてくれた。それから会う度ボクに向けてくれる優しくて温かい笑顔が、……ボクは、好きで。
 あの女に会った直後、もしもおねーさんに笑顔を向けられていたら、ボクの心は今より救われていただろうか。そんな風に考えて、だけどやっぱりその笑顔を見られなくて良かったんだと思い直す。だって、もしも向けられたなら、ボクは泣いてしまっていたかも知れない。
 昨晩と同様、そっと指先を伸ばしアメシストに触れた。ひんやりとして気持ちが良かった。
 伸ばした指先をそっと引っ込め、ベッドに戻ろうと振り返れば、これまた昨晩と同様、ケータイがピリリと短い音を立てた。メールだ。送信者は確認するまでもなくあいつだろう。
 屈んでケータイを手に取り立ったまま確認する。
<あした学校こいよ。まってるぞ>
 送信者は思った通り今井だった。そして思った通り平仮名が多かった。
 昨晩の様に笑みが零れる程心中は穏やかではなかったが、このメールが僅かでも心を温かくしたのは確かだった。


< 108 / 415 >

この作品をシェア

pagetop