I love you に代わる言葉
「そろそろ帰りますか? 早く温まらないと、日生くん、風邪ひいてしまいます」
 言われて初めて、寒気がする事に気付く。けど、濡れているのはおねーさんも同じだ。
 おねーさんを見ると、やっぱり左半身が濡れていて、髪も濡れてしまっていた。タオルが乾いていれば渡してあげたいけど、生憎こいつも湿っている。早く家に帰らなければ。傘を持つ腕も、限界だろう。ボクを雨から守る為に差してくれていた傘。濡れてしまった半身。疲れ果てたであろう右腕。
 ボクはこの人に、守られ過ぎた。今度はボクが、この人を守らなければ。
 傘の柄の部分に向けて、ボクはスッと左手を差し出した。おねーさんはボクの手を見てきょとんとしている。そして、疑問符を浮かべながらボクの顔へと視線を上げる。照れ臭さを隠すように、ボクは一言、
「……傘、持つよ」
 目を逸らしながらぶっきらぼうに、そう言った。
「……」
 しかし、左手に傘が渡ってくる気配は一向に訪れなくて。不思議に思っておねーさんを見れば、ボクは一瞬で全身が硬直した。そして瞠目する。
 おねーさんの顔は酷く憂いに満ちていて、今にも泣き出しそうな顔をしていた。いつも気丈な振る舞いをするおねーさんからそんな表情が表れるなんて想像もしていなくて、ボクは言葉を失った。差し出した左手さえも、下ろす始末。どうしたんだと尋ねる事すら許されぬような、溢れ出る哀愁。おねーさんの口唇がほんの僅か、動いた。


「……けん、や……」


 おねーさんはボクの知らぬ誰かの名を呟いた。それと同時に、おねーさんの綺麗な瞳から、涙が一粒、ゆっくりと流れ落ちた。
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