I love you に代わる言葉
 おねーさんの服装が普段と違う事に今更気付く。今日は休日だからか。白い膝丈のワンピースに黒い薄手のカーディガンを羽織っている。長袖なのは普段と変わらないらしい。
「日生くん」
 ボクから数歩離れたその場所で手招きをし、小さな皿を手に持ってその中身を指差す。この展開はあれだ。たった今言っていた『えんじぇらいと』というものを見せようとしているんだ。だけどそれが嫌じゃなくて。嫌じゃないと思った自分に苛立ちを感じた。それを悟られない様に平然を装い、大人しくおねーさんの元へ歩み寄る。
「これがエンジェライトですよ」
 近くへ寄ると、おねーさんは皿の中にある数個の内一つを指先で優しく持ち、ボクの眼前にそれを持ってきた。それは鶉の卵くらいの大きさで、水色の石だった。
「へぇ。こっちの方が天青石より色が濃いんだね」
「そうですね。エンジェライトという名前は、ギリシャ語の『angelos 天使』に由来するんですよ。名前からもう清廉さを感じますよね」
 にっこりと笑ってボクを見てきたけど、やっぱり直視出来なくて視線をすっと逸らした。
「天青石と近い石だと言いましたが、エンジェライトは和名を硬石膏と言います。アンハイドライトと言われる鉱物の一種で、アンハイドライトは軟石膏なんですね。同じストロンチウムを含む天青石と軟石膏の中間に位置する鉱物らしいです。エンジェライトも……」
「ははは、笹山さん。今日は休みなんだから仕事しなくていいんだよ」
 カウンターから投げ掛けられた男の苦笑混じりの声に、ボクとおねーさんは同時に顔を上げてそちらを見た。オバサンもボク達の様子を見て笑っている。
 おねーさんは照れた様に苦笑を洩らした。
「ごめんなさい、ご迷惑でしたね」
 そう言って申し訳無さそうに謝罪するおねーさんに「別に」と素っ気無く返事をした。素っ気無いのに否定の言葉に安心したのかおねーさんは笑う。
 この笑顔を二週間ずっと避けていた。夢をリアルに感じてしまいそうで、それに支配される心が気持ち悪くて、この笑顔を見たくなかったんだ。だから煌宝には来なかったのに。
 今日、此処へ来なければ良かった。
「それじゃ、お邪魔してすみません。私はそろそろ帰ります」
 おねーさんはそう言ってエンジェライトが入った皿を台に置くと深くお辞儀した。
「ボクもそろそろ帰るよ」
「日生くん、またおいで」
 そう言った男を一瞥し背を向ける。パッと顔を上げると、おねーさんと目が合った。やっぱり多くは語らず笑い掛けてくるだけで、それが何だか擽ったくて。
「それじゃ失礼します。――日生くん、また」
 そう言い残して颯爽と歩き去っていくおねーさんの後姿をぼんやり眺める。おねーさんが去った数秒後にボクも歩き出して店を出た。



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