素敵な勘違い 〜負け組同士のラブバトル〜
あとがき
ある方からおすすめを戴き、「あとがき」を書く事にしました。今までは殆ど書かなかったのですが、今後は書こうと思います。
まず初めにお詫びと言いますか……
本作品のジャンルは終盤まで「恋愛(ラブコメ)」でした。書き始めた当初、この作品は軽いノリでテンポ良く、最後にオチをつけた中編にする予定だったからです。
書き出しから中盤あたりまではラブコメと言える内容だったかと思います。しかし和馬Sideから一気にシリアスに転じてしまったと思います。
という事で、“看板に偽りあり”ではまずいので、「恋愛(純愛)」に変更しました。今までもずっとそうですが、コメディタッチを最後まで貫く事が私はとても苦手なんです。いつかはそういう作品を書きたいと思っているのですが。
さて、本作品は前々作の「偽装結婚の行方」で、ヒーローの涼に長年想いを寄せ、でも結局は想いを告げられないままその恋が実らなかった可哀相な真琴がヒロインです。
ある方からのご要望もあり、真琴を幸せにしてあげたいという思いで執筆を始めました。その意味では、「モテ男と地味子の初恋物語」で、主人公のセフレだった小枝子をヒロインにして書いた「俺様男に心乱れて」と同じ動機になります。
でも、そちらとは私的には大きな違いがありました。それは何かと言うと、小枝子はとても綺麗な女性という設定でしたが、真琴はそうではないのです。よく見れば可愛い顔をしているのですが、まるで色気がなく、男の子に間違えられるほどボーイッシュな女の子なんです。
私、実は美男美女が好みでして、そういう男女のお話しか書いてないんですね。
美女じゃない女の子をヒロインにして、どういうお話にするかで悩み、その結果テーマが決まりました。そのテーマとは……
人が人を好きになるって、実は勘違いのなせる業ではないのか、という事。
もっとストレートに言えば、恋とは勘違いの産物である、です。
と言っても、今回この考えを思い付いたのではなく、前々からそう思っていました。と言うより、確信していました。既成の事実、あるいは自然の摂理であろうと思っています。
どういう事かと言うと、人は(他の動物でもそうだと思いますが)、必ずしも美男美女を好きになるイキモノではないという事。もしそうだとしたら、ごく一握りの人達しか結婚せず、たちまち絶滅に瀕してしまいますよね?
社会心理学の用語ですが、「パーソナル・スペース」というものはご存知でしょうか?
その距離は民族や性別によって、かつ個人差があるようですが、人にはそれ以上他人に近付かれると不快に感じる距離があるそうで、それをパーソナル・スペースと呼びますが、実は不快を感じるだけではないんですね。
嫌な相手であれば不快以外の何物でもないでしょうが、そうでもない相手であれば逆に親近感が沸く距離でもあるそうです。そしてもし相手が異性であれば、恋に発展する事もある、ようです。
実際、モテる男女は人より人に接近しがち、という統計(?)があるとか……
少し話が逸れたかもしれませんが、何を言いたいかというと、要するに人は(あるいは全動物は)惚れっぽいという事。それはパーソナル・スペースの影響もあるでしょうし、あるいはちょっとした発見だったりするかもしれません。そしていったん恋をすると、(どんな相手でも)相手が素敵に見える。
客観的に見れば当人達の勘違いなわけですが、当人達にしてみれば客観性なんて何の意味もないわけで、それで幸せな人生を送れれば万々歳ですよね?
なんて素敵な勘違いでしょう。それが本作のテーマです。
長々と能書きを失礼しました。本作品がみなさまの例えば暇つぶしとか、多少でもお役に立てば光栄です。
最後までありがとうございました。
2014.7.26 秋風月
まず初めにお詫びと言いますか……
本作品のジャンルは終盤まで「恋愛(ラブコメ)」でした。書き始めた当初、この作品は軽いノリでテンポ良く、最後にオチをつけた中編にする予定だったからです。
書き出しから中盤あたりまではラブコメと言える内容だったかと思います。しかし和馬Sideから一気にシリアスに転じてしまったと思います。
という事で、“看板に偽りあり”ではまずいので、「恋愛(純愛)」に変更しました。今までもずっとそうですが、コメディタッチを最後まで貫く事が私はとても苦手なんです。いつかはそういう作品を書きたいと思っているのですが。
さて、本作品は前々作の「偽装結婚の行方」で、ヒーローの涼に長年想いを寄せ、でも結局は想いを告げられないままその恋が実らなかった可哀相な真琴がヒロインです。
ある方からのご要望もあり、真琴を幸せにしてあげたいという思いで執筆を始めました。その意味では、「モテ男と地味子の初恋物語」で、主人公のセフレだった小枝子をヒロインにして書いた「俺様男に心乱れて」と同じ動機になります。
でも、そちらとは私的には大きな違いがありました。それは何かと言うと、小枝子はとても綺麗な女性という設定でしたが、真琴はそうではないのです。よく見れば可愛い顔をしているのですが、まるで色気がなく、男の子に間違えられるほどボーイッシュな女の子なんです。
私、実は美男美女が好みでして、そういう男女のお話しか書いてないんですね。
美女じゃない女の子をヒロインにして、どういうお話にするかで悩み、その結果テーマが決まりました。そのテーマとは……
人が人を好きになるって、実は勘違いのなせる業ではないのか、という事。
もっとストレートに言えば、恋とは勘違いの産物である、です。
と言っても、今回この考えを思い付いたのではなく、前々からそう思っていました。と言うより、確信していました。既成の事実、あるいは自然の摂理であろうと思っています。
どういう事かと言うと、人は(他の動物でもそうだと思いますが)、必ずしも美男美女を好きになるイキモノではないという事。もしそうだとしたら、ごく一握りの人達しか結婚せず、たちまち絶滅に瀕してしまいますよね?
社会心理学の用語ですが、「パーソナル・スペース」というものはご存知でしょうか?
その距離は民族や性別によって、かつ個人差があるようですが、人にはそれ以上他人に近付かれると不快に感じる距離があるそうで、それをパーソナル・スペースと呼びますが、実は不快を感じるだけではないんですね。
嫌な相手であれば不快以外の何物でもないでしょうが、そうでもない相手であれば逆に親近感が沸く距離でもあるそうです。そしてもし相手が異性であれば、恋に発展する事もある、ようです。
実際、モテる男女は人より人に接近しがち、という統計(?)があるとか……
少し話が逸れたかもしれませんが、何を言いたいかというと、要するに人は(あるいは全動物は)惚れっぽいという事。それはパーソナル・スペースの影響もあるでしょうし、あるいはちょっとした発見だったりするかもしれません。そしていったん恋をすると、(どんな相手でも)相手が素敵に見える。
客観的に見れば当人達の勘違いなわけですが、当人達にしてみれば客観性なんて何の意味もないわけで、それで幸せな人生を送れれば万々歳ですよね?
なんて素敵な勘違いでしょう。それが本作のテーマです。
長々と能書きを失礼しました。本作品がみなさまの例えば暇つぶしとか、多少でもお役に立てば光栄です。
最後までありがとうございました。
2014.7.26 秋風月