*悪役オムニバス*【短編集】
「おい、しい」
嶺子は五目煮豆を口の中で転がすと、最後の一口を飲み込んだ。
「ごちそうさま」
「まあ、綺麗に食べたのね。
えらいわ」
女は朗らかな笑顔になると、嶺子の頭を優しく撫でた。
「それじゃ、私はもう行くから。
またね?」
女はそれだけ言うと、歯型のついたスプーンをしっかりと握りしめ、空になった茶碗を膳ごと持ち上げた。
そして自動ドアをくぐって、白衣の仲間が待つ場所へと去って行った。
「新しい“サンプル”が手に入ったわ。
調べてちょうだい」
女が低い声で言ったのを、嶺子は聞き漏らさなかった。
あの人は、僕のお母さんじゃないみたい。
嶺子は柔らかい積木型の枕に腰を掛けると、絵本を開いた。
人間には、必ず“お父さん”と“お母さん”という存在がある。
しかし嶺子の周りにいるのは、みな白衣の人間ばかりだった。
たしかに、彼らは優しい。
自分にご飯を与えてくれ、玩具や絵本もくれた。
しかしーーー絵本に見る“お父さん”や“お母さん”のように、ずっと一緒にいてくれることはなかった。
食事の時、寝る前、そして嶺子が呼んだ時。
それが終わると、彼らはすぐに、何処かへと引っ込んでしまう。
絵本の“お母さん”のように、一緒に寝てくれることもない。
しかも彼らは、月に一度、嶺子に“血を吸い取る針”を刺した。
「ちょっとチクっとするよ」
そう優しく言って、彼らは月に一度、嶺子から血をとった。
しかし嶺子は、物心がつく以前からここにいたせいか、もうこれが日常の一つだと思っていた。