わたしたちスーパーサイエンス部に不可能はないわ!
プロローグ
(やった、お気に入り登録が1件増えたぞ)
投稿したばかりの文章に読者からのレスポンスがあり、ぼくの心は高鳴った。
「何書いてるの?」
「ラノ……小説だよ」
「ライトノベル書いてるんだ?」
「ぐぬぬ」
否定できなかった。
しばらく沈黙。彼女は視線を動かし、時折画面をフリック操作、画面を弾くような指の動きでスクロールさせている。
「この主人公、あの人のことだよね」
「あの人」ぼくと彼女の共通の知人。知人と言うのはおかしいか。上級生だしな。
「うん…………って、スマホで読んでるのかよ」
一人の少女がスマートフォンを弄んでいる。ぼくの部屋の、ベッドの上に体育座りしたまま。
「なんだ、すぐに読者の反応があったと思ったら、おまえだったのか」
ちょっとがっかりした。勉強机でノートパソコンに向かっているぼくを、従姉妹の樹梨亜(きりあ)が後ろから覗き見していたのかと思えば、さにあらず。ぼくが先ほど小説投稿サイトにアップロードした作品を自分のスマートフォンで読んでいる。
まさに、クラウド時代。便利な世の中だ。
「……わたし、最初の読者」
樹梨亜は「最初の○○」という冠が好きだった。とりわけ、ぼくに関することでは。
昔の人はノートに書き留めていた恥ずかしいポエムや小説を、現代では手軽に全世界に発信することができる。いわゆる黒歴史ノートのオンライン配信というわけだ。
(だれが黒歴史だ)
このような一人ツッコミこそが、心の恥部を恥部たらしめていると言えるだろうが。
最近のぼくは、ある使命感に突き動かされて小説……のようなものを執筆している。それは何かと言うと……。
ぼくは幼い頃、不思議な体験をした。それ以来、何か人生の選択肢が現れると、ある判断基準に従っている。
(あの人ならどうするだろうか?)
「あの人」の存在がぼくの人格形成に大きな影響を与えていた。
世間は荒んでいるというが、ぼくらの幼年時代は少なくともこの地域一帯は平和な地区だったと思う。
子ども同士のけんかぐらいはあっても、ニュースになるような多額の金品を恐喝するとか一人を自殺するまで追い詰めるようないじめは無かったのだ。少なくとも、ぼくが小学生だった頃までは。
東京都武蔵野市K町は、子ども心にも住みやすい街なのだと思っていた。日本の中でも治安の良い、善良な人が暮らす街なのだと。
今は思う。
(果たして本当にそうだったろうか)
結局「あの人」の話は、その後連載を続けたが幾人かの愛読者を得たものの目立つこともなく中途半端なところで完結となった。
「あ、もう終わっちゃうんだ?」
樹梨亜だけは残念がった。
「もったいないよ、わたしにはあの人の素晴らしさがちゃんと伝わってくるのに」
「それはおまえもあの人を知っているからだ」
もちろん、読者が増えれば投稿を続けたい気持ちはある。だけど、自分で読んでも他者を楽しませるために書いている文章に見えない。「その域」に達するには倍旧の努力が必要なようだ。
「考えてみたら、あの人の言葉や仕草しかぼくたちはあの人のことを知らなかったんだということを悟ったよ。あの人がいまどこにいるのかわからないから、話を完結させることもできない」
他人にはわからないことがたくさんある。
「あの人」はぼくが中学生になった年に、失踪して行方不明となったまま、今もどこにいるのかは誰にもわからない。
ご両親が息子の消息を求めテレビ番組に出演したこともあった。憔悴し、悲嘆に暮れるご両親の姿に胸が痛んだ。
投稿したばかりの文章に読者からのレスポンスがあり、ぼくの心は高鳴った。
「何書いてるの?」
「ラノ……小説だよ」
「ライトノベル書いてるんだ?」
「ぐぬぬ」
否定できなかった。
しばらく沈黙。彼女は視線を動かし、時折画面をフリック操作、画面を弾くような指の動きでスクロールさせている。
「この主人公、あの人のことだよね」
「あの人」ぼくと彼女の共通の知人。知人と言うのはおかしいか。上級生だしな。
「うん…………って、スマホで読んでるのかよ」
一人の少女がスマートフォンを弄んでいる。ぼくの部屋の、ベッドの上に体育座りしたまま。
「なんだ、すぐに読者の反応があったと思ったら、おまえだったのか」
ちょっとがっかりした。勉強机でノートパソコンに向かっているぼくを、従姉妹の樹梨亜(きりあ)が後ろから覗き見していたのかと思えば、さにあらず。ぼくが先ほど小説投稿サイトにアップロードした作品を自分のスマートフォンで読んでいる。
まさに、クラウド時代。便利な世の中だ。
「……わたし、最初の読者」
樹梨亜は「最初の○○」という冠が好きだった。とりわけ、ぼくに関することでは。
昔の人はノートに書き留めていた恥ずかしいポエムや小説を、現代では手軽に全世界に発信することができる。いわゆる黒歴史ノートのオンライン配信というわけだ。
(だれが黒歴史だ)
このような一人ツッコミこそが、心の恥部を恥部たらしめていると言えるだろうが。
最近のぼくは、ある使命感に突き動かされて小説……のようなものを執筆している。それは何かと言うと……。
ぼくは幼い頃、不思議な体験をした。それ以来、何か人生の選択肢が現れると、ある判断基準に従っている。
(あの人ならどうするだろうか?)
「あの人」の存在がぼくの人格形成に大きな影響を与えていた。
世間は荒んでいるというが、ぼくらの幼年時代は少なくともこの地域一帯は平和な地区だったと思う。
子ども同士のけんかぐらいはあっても、ニュースになるような多額の金品を恐喝するとか一人を自殺するまで追い詰めるようないじめは無かったのだ。少なくとも、ぼくが小学生だった頃までは。
東京都武蔵野市K町は、子ども心にも住みやすい街なのだと思っていた。日本の中でも治安の良い、善良な人が暮らす街なのだと。
今は思う。
(果たして本当にそうだったろうか)
結局「あの人」の話は、その後連載を続けたが幾人かの愛読者を得たものの目立つこともなく中途半端なところで完結となった。
「あ、もう終わっちゃうんだ?」
樹梨亜だけは残念がった。
「もったいないよ、わたしにはあの人の素晴らしさがちゃんと伝わってくるのに」
「それはおまえもあの人を知っているからだ」
もちろん、読者が増えれば投稿を続けたい気持ちはある。だけど、自分で読んでも他者を楽しませるために書いている文章に見えない。「その域」に達するには倍旧の努力が必要なようだ。
「考えてみたら、あの人の言葉や仕草しかぼくたちはあの人のことを知らなかったんだということを悟ったよ。あの人がいまどこにいるのかわからないから、話を完結させることもできない」
他人にはわからないことがたくさんある。
「あの人」はぼくが中学生になった年に、失踪して行方不明となったまま、今もどこにいるのかは誰にもわからない。
ご両親が息子の消息を求めテレビ番組に出演したこともあった。憔悴し、悲嘆に暮れるご両親の姿に胸が痛んだ。