カンナの花
でも会わなくちゃいけない。用がある。
ロビーで勉強していたら、夕方彼が来た。彼が教室か技能教習に行ってしまう前に…
「英治さん。」
「あぁ佐衣ちゃん、おはよう」
そっと体を寄せて、手を差し出す。
「これ。わたしの荷物に紛れてました。」
「うわぁ、すごくありがとう、探してた。」
コンビニでアイスの会計をしている時に、持っていてと渡された彼の教習手帳の存在を、わたしたちは忘れていた。
教習手帳には受けた授業を認定するスタンプが押してある。これがなければ彼は授業を受けられないし、これをわたしが奪ってしまえば彼は失くしたことになってもう一度はじめから教習を受けなければいけない。
もらっちゃえばよかったかしら。写真もついてるし。
極めて普通な調子の彼に、すこしつまらないなと思って、そんな悪女っぽいことが頭をかすめた。
普通なのか、意識されているのか、なんとも読みにくいけれど、でも夕べの記憶は嘘じゃない。
夕べの記憶って言うと一緒に寝たみたい。どうせなら寝ても変わらなかったかしら。少なくとも、キスしちゃえばよかったかしら。
いやいやいやいやいやいや。
そんなことない。
あそこで踏みとどまって正解。
彼は奥さんも、子どももいる。
理性と魔性の間で、わたしは揺れた。