ドミナントセブンスコードBm7
「ねえ、一色さん今日バイトある?」
午前の講義の後、クラスメイトの安本さんに急に声をかけられた。
いつもより少し派手な化粧をしており、ぱっちりとさせた目がかわいらしい。
大学の入学式の日、新入生ガイダンスで隣の席だった縁で何となく話すようになった数少ない大学の知り合いだ。
おしゃべり好きな彼女と居るのは楽だ。基本的に自分の興味がある古今東西を、脈絡なくノンストップで話す彼女の話には屈託がなく、こちらが知っていようといまいとコロコロと変わっていくので、聞いていて飽きない。
何より、彼女はこちらのことを深くは聞いてこない。……いつもなら。
「ううん。休み。どうしたの?」
そう言った途端、ぱあっと安本さんの表情が明るくなった。両手を握られる。
「ほんとに!」
「え……うん。どうしたの? また何かのチケット?」
握りしめられた手に一瞬動揺しつつ、七奈は去年の秋ごろの出来事を思い出していた。どうしても取りたいライブのチケットがある、と六時ぴったりに申し込みを頼まれたことがあった。携帯を持っていないのでコンビニ待機したのだ。そういえばあの支払いってどうなったんだろう、と思い出したところで、安本さんが握っていた手をぶんぶんと振った。
「違う違う! あ、っていうかチケット代まだだったね! ちょうどよかった!」
踏み倒そうとしていたわけではないみたいだ。パッと離した両手をパンと一度叩き、安本さんが笑う。
「ねえ、アタシたち今日合コン行くんだけどさ、えっと、ユミとレナとミカね、あとアタシ。それで一人急に風邪ひいちゃってさー」
嫌な予感がした。なぜ先に用件を言ってくれなかったのだろう。
「お願い! アタシこっち側幹事なの! よっしーにも五人集まらなかったらぶっ殺すって言っちゃってるし、これでこっちが数足りてないとかやばいじゃん?
お金はほら、チケット代金でいいからさちょっと足りないけど! そこはアタシ出しちゃうから! 一応二次会もあるけど嫌だったらはじめの飲み会だけでもいいから! いてくれるだけで!」
「いや、私、急に言われても準備もしてないし」
「そんなかしこまったところじゃないし、その格好でいいから! あ、メイク盛りたいんならアタシの貸すし」
言って、安本さんがバッグからパンパンの化粧ポーチを取り出し、ばらりと開けた。ビューラーについた付けまつげの破片をパッパと落とし、はい、とこちらに差し出す。
「いや……いい」
「そ?」
少し残念そうにポーチをしまい、安本さんがスマホで何かを打ち込む。
泡がはじけるような少し間の抜けた音がして、一仕事終えた顔で安本さんがこちらを見た。
「じゃあ午後の講義終わったら食堂の前で一回待ち合わせね」
「あの、私……」
「ありがとう! すっごい助かる! じゃあね! 一色さん電話ないんだから場所間違わないようにね!」
そう言うと、安本さんはさっさと講義室から行ってしまった。
唖然と閉じた扉を見ていると、ガラッと開いた隙間からひょこりと上半身だけを乗り出し、安本さんが手を振る。
「地下のほうの食堂ね!」
返事をする間もなく、再び扉が閉じた。
午前の講義の後、クラスメイトの安本さんに急に声をかけられた。
いつもより少し派手な化粧をしており、ぱっちりとさせた目がかわいらしい。
大学の入学式の日、新入生ガイダンスで隣の席だった縁で何となく話すようになった数少ない大学の知り合いだ。
おしゃべり好きな彼女と居るのは楽だ。基本的に自分の興味がある古今東西を、脈絡なくノンストップで話す彼女の話には屈託がなく、こちらが知っていようといまいとコロコロと変わっていくので、聞いていて飽きない。
何より、彼女はこちらのことを深くは聞いてこない。……いつもなら。
「ううん。休み。どうしたの?」
そう言った途端、ぱあっと安本さんの表情が明るくなった。両手を握られる。
「ほんとに!」
「え……うん。どうしたの? また何かのチケット?」
握りしめられた手に一瞬動揺しつつ、七奈は去年の秋ごろの出来事を思い出していた。どうしても取りたいライブのチケットがある、と六時ぴったりに申し込みを頼まれたことがあった。携帯を持っていないのでコンビニ待機したのだ。そういえばあの支払いってどうなったんだろう、と思い出したところで、安本さんが握っていた手をぶんぶんと振った。
「違う違う! あ、っていうかチケット代まだだったね! ちょうどよかった!」
踏み倒そうとしていたわけではないみたいだ。パッと離した両手をパンと一度叩き、安本さんが笑う。
「ねえ、アタシたち今日合コン行くんだけどさ、えっと、ユミとレナとミカね、あとアタシ。それで一人急に風邪ひいちゃってさー」
嫌な予感がした。なぜ先に用件を言ってくれなかったのだろう。
「お願い! アタシこっち側幹事なの! よっしーにも五人集まらなかったらぶっ殺すって言っちゃってるし、これでこっちが数足りてないとかやばいじゃん?
お金はほら、チケット代金でいいからさちょっと足りないけど! そこはアタシ出しちゃうから! 一応二次会もあるけど嫌だったらはじめの飲み会だけでもいいから! いてくれるだけで!」
「いや、私、急に言われても準備もしてないし」
「そんなかしこまったところじゃないし、その格好でいいから! あ、メイク盛りたいんならアタシの貸すし」
言って、安本さんがバッグからパンパンの化粧ポーチを取り出し、ばらりと開けた。ビューラーについた付けまつげの破片をパッパと落とし、はい、とこちらに差し出す。
「いや……いい」
「そ?」
少し残念そうにポーチをしまい、安本さんがスマホで何かを打ち込む。
泡がはじけるような少し間の抜けた音がして、一仕事終えた顔で安本さんがこちらを見た。
「じゃあ午後の講義終わったら食堂の前で一回待ち合わせね」
「あの、私……」
「ありがとう! すっごい助かる! じゃあね! 一色さん電話ないんだから場所間違わないようにね!」
そう言うと、安本さんはさっさと講義室から行ってしまった。
唖然と閉じた扉を見ていると、ガラッと開いた隙間からひょこりと上半身だけを乗り出し、安本さんが手を振る。
「地下のほうの食堂ね!」
返事をする間もなく、再び扉が閉じた。