誘惑~初めての男は彼氏の父~
 「羨ましいですね。いつもああやって中田さんは、理恵さんのために弾いてくれているんでしょうね」


 「えっ、全然だよ」


 ・・・佑典とは、家では一緒に過ごせない。


 だから家にある佑典のピアノで、私だけのためにロマンティックな曲を奏でてもらったこともない。


 「・・・」


 そんなことを考えていた時のことだった。


 「あのピアノの人、かっこいいね」


 後ろの席の子たちがおしゃべりしていた。


 今日は正式な演奏会ではないので、彼氏の演奏を聴きに来ているのは私を含めほんの数名。


 それゆえ一列後はもう、一般の人たちだった。


 「さっきは何を演奏していたんだろ?」


 「オーケストラは人数多すぎて、なかなか見つけられないよね」


 「ファゴット(バスーン)よ」


 連れの子が言い当てた。


 あまり一般的ではない楽器名をすんなり口にするこの子も、入部希望者だろうか。


 「あの人は中田さんっていって、ここのファゴットの首席奏者なの」


 「へえー。明日香(あすか)。情報が早い」


 「受験する前から、ここの演奏はずっと見に来ていたけれど・・・。あの人やっぱり素敵よね」


 明日香って子ははっきり言い放った。
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