誘惑~初めての男は彼氏の父~
 ・・・。


 「待って」


 翌朝、明るくなってから寮の前まで送ってもらった。


 私を送り届けてから、佑典は一旦バスを乗り継いで帰宅して。


 夕方また街に出て、オーケストラ部の卒業記念パーティに出席する。


 それは部員限定の行事なので、私は顔を出せない。


 内村さんのことが気がかりだけど、黙ってなりゆきを見守るしかない。


 私だけを一途に愛してくれる佑典が心変わりするなんて、まずはありえないこととはいえ・・・。


 どこか不安を感じて、私は立ち去ろうとする佑典を呼び止めてしまった。


 「どうした?」


 佑典は笑顔で、再び私の方を振り返る。


 「・・・」


 先ほどまで繋いでいた手のぬくもりが、朝の冷たい風に奪われていく。


 三月の下旬、暦の上ではもう春で、晴れていて朝の光が眩しい朝とはいえ、最低気温はまだまだ氷点下。


 「どうしてそんなに、寂しそうな表情するの」


 私はかなり、表情に切なげな色が浮かんでいたらしい。


 今まで何度も夜を共にして、朝の別れは体験してきたけれど。


 この時の不安はかつてない程だった。


 「馬鹿だな。今日が最後じゃないのに」


 佑典はそっと私の髪に触れた。
< 394 / 433 >

この作品をシェア

pagetop