この幸せをかみしめて
―あのね、おばあちゃん、捻挫して動けないらしいの。
―あんた、今、仕事もないんでしょ。
―しばらくの間、田舎に行ってやってくれない?
母親が、そんな話を麻里子に持ちかけてきたのは、その数日後のことだった。
母方の祖父母とは、中学生のころに会ったのが最後だった。
小さなころは、自然豊かな山や川で、時間を忘れて楽しく遊んでいられたが、高校生にもなると、何もないあの田舎が、麻里子には退屈でどうしようもなくなった。
いつでも真っ黒になって、汗水流して働いている祖父母も、少しずつ疎ましくなった。
そして、次第に麻里子の足は、祖父母のもとから遠のいていった。
しかし、もはや、そんなことは言っていられなかった。アパートの立ち退き期限が、目前に迫っていた。
―判った。
―行く。
二つ返事でそれを了承し、家を出てきたときとほぼ同じ、大きなボストンバック二つ分ほどの荷物と、昔よりは少しだけ残高の増えた預金通帳を持って、麻里子は母親とともに田舎へと向かった。
母方の祖父母が住むその田舎は、山間の小さな村だった。
北と南に分けるように、村の中央部には東西に連なる山がある。
そして、北と南のそれぞれに、澄んだ水が美しい川があった。
南側のそのほとんどに田畑が広がり、北側にわずかばかりの商店や、町役場、病院、学校などの公共施設が集まっていた。
県内では、蕎麦の産地として知られているその村には、至るところに蕎麦畑があった。
秋になると、蕎麦の白い花が広がる景色を写真に収めようと、カメラを抱えて村を訪れる者も多い。
新蕎麦が出回る季節ともなると、県内外から人が集まった。
村内にコンビニエンスストアは一軒しかないというのに、蕎麦屋だけなら大小合わせて七軒もあった。
その数は、麻里子を驚き呆れさせたものだった。
村には線路がない。
電車が走っていないからだ。
村から一番近い駅は、となり町の駅となる。
その最寄り駅は、都心から普通電車で二時間と少々と言う場所にある。
そう聞くと、それほど辺鄙な田舎には思えないかも知れないが、村の中で一番その駅に近い家でも、三十数キロの距離がある。
とてもではないが、駅までなど歩いてなどいけなかった。
朝と晩にそれぞれ一本ずつ、駅と村を行き来するバスが走っていたが、その乗客のほとんどは学生か、年寄りだった。
そんな場所ゆえに、一家に一台どころか、一人一台、車を持っているのが、この村では当たり前だった。
祖父母の家には、年寄りの二人暮らしにも関わらず、敏三が乗る普通乗用車と喜代子が乗る軽自動車のほかに、軽トラックが二台もあった。
五〇CCの原動機つき自転車もある。
それだけの車を余裕で置ける、広い庭もあった。
麻里子の家とて、東京のど真ん中にあるわけではない。
その場所は、都心に近い新興住宅地だ。
少し足を延ばせば、田畑も広がっている。
それでも、それなりに交通網は発達していているので、車などなくても、移動手段に困ることなどなかった。
クルマが必要ならレンタカーで十分という環境だった。
(こんな、田舎、だったっけ? ここ。もしかして、とんでもないとこじゃね?)
都内だったら、その距離はバス停一つ分くらいあるのではないだろうかと思えるほど離れた場所にある、祖父母の家と似たような趣のお隣さんの家を見ながら、麻里子はそんなことをしみじみと考えた。
―あんた、今、仕事もないんでしょ。
―しばらくの間、田舎に行ってやってくれない?
母親が、そんな話を麻里子に持ちかけてきたのは、その数日後のことだった。
母方の祖父母とは、中学生のころに会ったのが最後だった。
小さなころは、自然豊かな山や川で、時間を忘れて楽しく遊んでいられたが、高校生にもなると、何もないあの田舎が、麻里子には退屈でどうしようもなくなった。
いつでも真っ黒になって、汗水流して働いている祖父母も、少しずつ疎ましくなった。
そして、次第に麻里子の足は、祖父母のもとから遠のいていった。
しかし、もはや、そんなことは言っていられなかった。アパートの立ち退き期限が、目前に迫っていた。
―判った。
―行く。
二つ返事でそれを了承し、家を出てきたときとほぼ同じ、大きなボストンバック二つ分ほどの荷物と、昔よりは少しだけ残高の増えた預金通帳を持って、麻里子は母親とともに田舎へと向かった。
母方の祖父母が住むその田舎は、山間の小さな村だった。
北と南に分けるように、村の中央部には東西に連なる山がある。
そして、北と南のそれぞれに、澄んだ水が美しい川があった。
南側のそのほとんどに田畑が広がり、北側にわずかばかりの商店や、町役場、病院、学校などの公共施設が集まっていた。
県内では、蕎麦の産地として知られているその村には、至るところに蕎麦畑があった。
秋になると、蕎麦の白い花が広がる景色を写真に収めようと、カメラを抱えて村を訪れる者も多い。
新蕎麦が出回る季節ともなると、県内外から人が集まった。
村内にコンビニエンスストアは一軒しかないというのに、蕎麦屋だけなら大小合わせて七軒もあった。
その数は、麻里子を驚き呆れさせたものだった。
村には線路がない。
電車が走っていないからだ。
村から一番近い駅は、となり町の駅となる。
その最寄り駅は、都心から普通電車で二時間と少々と言う場所にある。
そう聞くと、それほど辺鄙な田舎には思えないかも知れないが、村の中で一番その駅に近い家でも、三十数キロの距離がある。
とてもではないが、駅までなど歩いてなどいけなかった。
朝と晩にそれぞれ一本ずつ、駅と村を行き来するバスが走っていたが、その乗客のほとんどは学生か、年寄りだった。
そんな場所ゆえに、一家に一台どころか、一人一台、車を持っているのが、この村では当たり前だった。
祖父母の家には、年寄りの二人暮らしにも関わらず、敏三が乗る普通乗用車と喜代子が乗る軽自動車のほかに、軽トラックが二台もあった。
五〇CCの原動機つき自転車もある。
それだけの車を余裕で置ける、広い庭もあった。
麻里子の家とて、東京のど真ん中にあるわけではない。
その場所は、都心に近い新興住宅地だ。
少し足を延ばせば、田畑も広がっている。
それでも、それなりに交通網は発達していているので、車などなくても、移動手段に困ることなどなかった。
クルマが必要ならレンタカーで十分という環境だった。
(こんな、田舎、だったっけ? ここ。もしかして、とんでもないとこじゃね?)
都内だったら、その距離はバス停一つ分くらいあるのではないだろうかと思えるほど離れた場所にある、祖父母の家と似たような趣のお隣さんの家を見ながら、麻里子はそんなことをしみじみと考えた。