根雪
「えっ?」
「人間ですからね、保身ということは本能的に考えてしまうものです。おそらく先生も全く考えなかった、なんてことはないと思いますよ。それでも先生が選択したのは自分が去ることであなたの将来を壊さないということだ。だからこそあなたは必死に勉強して、いじめにも耐えた。それは先生の思いをあなたが受け止めた結果です。でも先生はあなたと一緒に死ぬなんて望んでなかったと思いますよ。そんな先生の思いを歪ませたのは、あなたが今孤独だからだ。やっと会えた先生を失う焦燥感が、あなたの心から先生の思いを奪った、違いますか?」
美知は何も答えない。沈黙が重くのしかかったが、まるで嶋野が背中を押すように曽我は続けた。
「生きなさい、辛くても。あなたにはそうする義務がある。せっかく守ったあなたが、自分の後を追うことを知った先生の気持ちを考えてあげてください。支えがないと思うのは間違いだ。あなたには幸せだったと思える二日間の記憶がある。あなたが死を望んだら、そんな大切な記憶までも永遠に失うんです。それを望みますか?」
曽我は美知のすすり泣く声をただ聞いた。トゲのような、雨のような、雪のような、そんな感覚を覚えながら聞いた。
罪を犯した者たちと関わる日々で思うことがある。
人を傷つけるのは人だが、人を救うのもまた人だ。嶋野が自分を犠牲にして美知を助けた理由が、曽我にはわかる気がした。美知の傷を知る自分が彼女を捨てては、美知はこの先人を信じられない人になる、そう思ったのだろう、と。安っぽい正義感だと笑う者もいるだろうが、自分が誰かを救うことで自分もまた救われるものだ。人に優しくすることで自分の心が暖かくなるように、人は心に鏡を持って映し、照らし、暖めている。なりたかった教師という仕事を失ったことを考えれば、嶋野が失ったものはあまりにも大きい。だが嶋野は教師という「人」の仕事を全うしたと言えるし、人生の最後に自分が守った若い芽が美しく花を咲かせたのを見ることができたのだ。
その嶋野が自分と一緒に美知が枯れてしまうのを望むだろうか・・・