根雪

車の外はひどい雪で、曇った窓ガラスを拭いても吹き荒れる雪以外は何も見えなかった。
黒い軽自動車の運転席には一人の若い女、倒された助手席にはぐったりした男が横たわっていた。
女の名前は相田美知、二十三才。男の名前は島野誠、三十七才。男はその車の中で人生の最後を迎えた。半年前に見つかった胃癌により、彼はこの世を去った。

美知は車のエンジンを止め、自分のシートを倒した。左を向いて冷たくなった島野の頬を撫でた。痩せこけた頬が病との戦いを語り、半開きの渇いた唇がその戦いの終わりを告げていた。両手で島野の手を握りしめると、その冷たさが美知の心まで凍らせていく気がした。

・・・先生、私、一人は嫌だよ・・・先生も一人じゃ寂しいでしょ?このまま、私を連れてって。迷惑だって言われても着いて行くから・・・


エンジンを切った車内の空気はやがて氷点下になり、寒さに震えていた美知もやがて全ての感覚を失い始めた。
外は強い雪と風が唸りをあげているのに、車の中は不思議なほど静かだった。美知はだんだんと意識が遠のいていくのを感じ、重くなってきた瞼を閉じた。それでも何故か、耳に自分の心臓の音は聞こえていた。ドクン、ドクン、ドクン・・・

・・・先生、私の心臓の音、まだ速いよ・・・朝になったら、止まってるかな・・・

失われていく感覚は感情も鈍くするのかな、と美知はぼんやりと考えた。島野の死を見届けても、自分が死ぬと思っても、悲しいとも思わず涙も出なかった。重い瞼を思いっきり開けて島野の顔を見た。暗い車内ではうっすらと陰影しか見えないが、そこに島野の体があることはわかる。
手が決して離れることがないよう、美知は指を絡めて握りなおした。離さないよう、離れないようしっかりと握った。

・・・先生、あの頃からずっと、私、先生のこと大好きだったんだよ・・・

心の奥底にしまっていた感情を引っ張り出した時、初めて美知の目から涙が流れた。それを口にした時、張りつめた糸がぷつん切れたように美知は意識を失った。


・・・ドクン、ドクン、ドクン・・・


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