ロンリーハーツ
流れで合鍵
昨夜初めて、ちとせさんと素面でセックスした。
してみて、3年前と3日前のセックスは、「酔った勢い」とは言えないと思った。

いや。
素面のほうが、アルコールが入っていたときより、感度とか欲望がより・・・良かったから、あのときは、「酔った勢い」じゃないのかもしれないと思った。

ちとせさんはどう思ってるんだろう。
昨夜はあんだけ声出して、動いて乱れて感じてくれたからなぁ。
ちとせさんも、僕と同じように思っているのだろうか。

何て思いながら、僕は、ちとせさんの寝顔を見ていた。


少し口を開けて眠っているちとせさんは、完全に無防備で、安心しきっているように見えた。

・・・可愛い。

と、また思ってしまった僕って・・・!!
大体僕は、ちとせさんのことが苦手だったから、極力会わないよう、関わらないようにと避けていたはずなのに!

なのに僕は、ちとせさんに「つき合おう」とか言ってしまったし!

でも・・・ちとせさんが突然僕の前から姿を消して、僕たちの子どもをひとりで育てて・・・しかも僕には何も言わないで、と思ったら、すごく・・・嫌だと思った。

繋ぎとめておきたいと思った。


これからどうなるのか・・・考えないようにしよう。
という意味を込めて、僕はため息を一つつくと、ちとせさんを起こしにかかった。

「ちとせさん」
「・・・・ぶーう」

「ぶーう」って・・・寝言?

「ちとせさん、起きて。朝だよ」
「んぎゃーーーーーお、もーーーーーーすこ」とちとせさんは言った、と思うんだけど、それからゴニョゴニョ言って、最後の方は何を言ってるのか分からなかった。

頭の上に枕を抱えて、僕に背を向けたちとせさんを、すかさず抱きしめた。

ちとせさんを起こすため。そうだ。
決して寝ぼけてる姿が、面白くて可愛いから、つい・・・。

何て思ってない!


僕は、枕を少し押し上げて、「ちとせさん」と、彼女の耳元で囁くと、「うー」と返された。
もう、動物か?この人は。

「起きて。朝だよ」
「・・・ねむい」

やっとちゃんとした言葉を話したちとせさんに、思わず僕は微笑んだ。

「普段は男勝りにキリッとして、溌剌と、そしてキビキビ動く有能な外科医で通ってるのに。ギャップが面白い」
「・・・しゃらっぷ」
「ちとせさんって、朝弱いの?」
「んーべつにー。ただもーすこし寝たいだけ。ここ、快適だから」
「・・・あ、そう」

何で僕はその発言にドキッとしてるんだ!?

「ねえ、ちとせさん」
「はーい」
「今日のシフトは?」
「13時から。あんたは?」
「8時からなので、もう起きないと。ちとせさんはまだ寝てていいよ」
「・・・ううん、起きる。お風呂入りたいし。それに着替えないといけないから帰る」

ちとせさんはもっともなこと言ってるのに、何で僕は「残念」と思ってるんだろう。
そんな僕の気持ちを察したのか、ちとせさんが「ごめんね」と謝ってきた。

「え。いや・・・」
「あんたのピノキオ、朝勃ちしてんのに、宥める時間がなくて」
「ぶっ!そ、それは健全な男の自然現象だからいいですっ!けど僕のをピノキオって呼ぶのはやめてください!」

全く。
何でそんなに「名前」を考えつくのか・・・この人は。

クスクス笑っているちとせさんにつられて、そして彼女のヘンな「癖」がおかしくて、僕もクスクス笑ってしまった。


こうしてちとせさんのことを少しずつ知っていくたびに、彼女に対する苦手意識が少しずつ消えていってることは、ひとまず棚に上げておいた。



その日から1週間、シフトが合わなかったため、僕たちは会わなかった。
ちとせさんと僕は、同じ病院に勤務しているとはいえ、外科と内科と部署が違うから、仕事で関わることはなかったし、偶然か、示し合わせないと、院内で会うこともないのは、つき合う前から変わらない。
でもつき合う前と変わったのは、会わなかった1週間の間、毎日電話で話したことか。

「おーす藍前」
「おつかれさまです。今からちとせさんちに行ってもいいですか」

つき合う前は、1週間どころか、1ヶ月、いや、3ヶ月会わないこともザラだったのに・・・。
今ではスマホ越しの声を聞くだけじゃあ、物足りないと思ってる。

何だろ、この・・・心境の変化は。

「あー・・・・・・」
「その沈黙の意味は」
「だめ」

僕はスマホを睨みつけた。
そんな返事、受け入れられない!却下!!

僕は少しいらだった声で、「部屋が散らかってるから?」と聞いた。

「ちがっ・・・あーまー、たしょーねー」と言ってハハハと笑うちとせさんの声が、妙に白々しく、渇いて聞こえる。

よそよそしさ?みたいなのを感じる。
まさか・・・。

「誰かいるの」

男が。
と思ってしまった僕の声は、思いきり不機嫌になってしまった。

「いないわよスカタンッ!ただ、今は生理中だからさ、あんたとセックスできない・・・」
「ねえ、ちとせさん」
「なに」
「僕たちの関係って何」
「何って・・・何よ」
「ちとせさんは、僕とセックスするためだけに会ってるの」
「はあ?違うわよ。違うけど、今は・・・ふぅ、そういう気分じゃない」
「どういう気分?セックスしたくないってこと?」
「だっ・・違う!いや、セックスしたくない、今は。頭痛も生理痛もあるし、だるいし出血大サービス中で、ひとりでいたい気分なの」

ちとせさんの声、疲れが滲んでる。
頭痛持ちなのかな。

「とにかく僕、今ちとせさんちのすぐ前に来てるから」と僕は言うと、スマホを切った。
切る直前、「は?」というちとせさんの声が、スマホの向こうから聞こえてきた。

僕はニヤッと笑うと、マンションのエントランスへ入り、ちとせさんの部屋番号を押した。

「は・・・い?」
「僕。あいぜ・・・伊吹です」

3秒沈黙の後、「あんたってさ、意外と強引だよね」というちとせさんの声が聞こえ・・・ドアが開いた。





「片づいてるじゃないですか」
「あ?」
「部屋」
「昨日家事代行サービスの人が来てくれたからね」

昨日でこの状態ですか・・・。
僕は心の中で渇いた笑い声を上げていた。

僕は散らかってる雑誌をひとまとめにし、テーブルに置いてあった食器を、食器洗い機に入れた。

「業者さん頼んでるんですか?」
「うん。私、家事に時間をかけるのが好きじゃないの」
「なるほど」

ちとせさんらしい。

「晩ごはん食べた?」
「ううん。食欲ない」と言ったちとせさんの声は、いつもの弾けた元気がなかった。

先々週はチャーハンとかアイスとか、たくさん食べてたのに。
それに顔色も悪い。

僕はちとせさんのほうへ歩きながら、「今日は何か食べた?」と聞くと、ちとせさんの右手をそっと握った。

冷たい。
それに震えてる。

「ううん。出かけたい気分じゃなかったし」
「鶏の照り焼きなら食べれる?持ってきた・・・」

僕が最後まで言い終わらないうちに、ちとせさんは「うんっ!食べるっ!!」と答えた。
いつもの弾けた元気な声だったので、僕はホッとした。







「おいしいぃ。これ、藍前が作ったの?」
「いえ。ここに来る途中で買って来たんです」

ちとせさんちには炊飯器がないと、チャーハンを食べに来てくれたときに聞いていたので、鍋炊きしようかと思ったけど、それ以前に米がないかもしれないと思った僕は、デパートでお惣菜とご飯を買ってきていた。

予想は大当たりだった・・・ははっ。

ご飯と鶏の照り焼き、そしてポテトサラダをおいしそうに食べてくれたちとせさんの顔色は、普段どおりになっていた。
そして「ひとりでいたい気分」と言ってたのに、僕とたくさんしゃべってくれた。

とはいえ、ちとせさんの気分が優れないのは、見ていて分かる。
まだ頭痛と、時折おなかを手で押さえてるところを見ると、生理痛もあると思う。
だから、後片づけは当然僕がして、その間ちとせさんにはお風呂に入ってもらった。


「薬飲む?」
「ううん。うちにないし」
「僕買ってくるよ」
「ううん、いい」
「じゃあ僕、お風呂入ってくる」
「・・・へ」

思いっきり疑問顔のちとせさんを無視して、僕はバスルームへ行った。






「てか藍前」
「何でしょう」
「あんた・・・最初からうちに泊まるつもりだったの?」
「うん」
「・・・・そぅ」

何となく、ベッドに寝ているちとせさんの体から、緊張が抜けたような気がした。
だからなのか?僕に体を預けるようにすり寄ってきたのは。

僕はちとせさんを囲うようにそっと抱きしめた。
おなかが痛いなら、温めたほうがいい。
と思うのは、僕の口実だろうか・・・。

どうでもいいや。

男勝りで僕より2つ年上のちとせさんが、何気に僕に甘えてくれる姿が、とても可愛くて、つい守りたくなってしまったから。

「あんたさ、照り焼きとかポテトサラダとか作れるわけ?」

ボソボソつぶやくように話すちとせさんの息が、僕の胸板にかかる。
ちとせさんの人さし指は、僕の胸板をさまよっている。

「作れますよ」
「好き?」
「え?照り焼きとポテトサラダ、ですか?」
「うん」
「うん、まあ、そうですねぇ、好きですよ」
「あ、そう。じゃあ今度作ってあげようか」
「いやっ、ああっと・・・それより、今度僕んち来たとき教え、いや、作ってあげます」
「わあいっ!うれしいーっ!!」とはしゃぐちとせさんは、やっぱり料理が下手という自覚がないようだ・・・。

僕は、ちとせさんに見えないように苦笑を浮かべた。

「じゃあ、ちとせさん」
「なに藍前」
「いつ僕んちに来てくれますか」
「うーん。来週まで夜勤・・・だから来週・・・明けたら・・・」
「・・・分かりました。でもいつでも来ていいですよ」
「・・・ぅ」

ちとせさん、寝たか。
どうやら生理痛も頭痛もだいぶ収まったみたいだし。
よかった。


翌朝。
僕は仕事へ行くために、ちとせさんちを出た。
ちとせさんはまだ寝ていたので、メモ紙に書置きをしておいた。
自動ロックのドアで助かった。




それから数時間後。
目が覚めた私は、あたりをキョロキョロ見て・・・ひとりだと分かった。

藍前、もう行ったのか。
と、目覚まし時計を見て確信した。

半分寝ぼけた状態で、リビングへ行くと、テーブルにメモ紙が置いてあった。

『ちとせさん、おはよう。僕、仕事だからもう行きます。いつでも僕んちに来て 伊吹』

メモ紙の上に重石のように乗せてあったこれ・・・藍前ちの、だよね。
私は真新しい鍵を手に取った。

私の目が完全に覚めた。
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