【彼女のヒミツ】
「ど、どうも」と彼は嬉しいやら、恥ずかしいやら、複雑な表情を浮かべた。

「あ。俺行きます」本音はもっと彼女と喋りたい。

だが彼の緊張は、すでにピークを超えていた。

「はい。勉強頑張って下さいね」玲は笑顔でいった。

じゃあ、と二人は別れた。礼二は別れ際に気のきいた台詞を言おうとしたが、何も浮かばなかった。

自転車で少し走ってから、彼は後ろを振り返った。

振り返った礼二に気づいた彼女は、胸の前で小さく手を振った。

彼は会釈してペダルを漕いだ。平静を保つのが、こんなに苦労するなんて思わなかった。心がスキップしているような喜びを感じた。

水谷 玲とは、たわいの無い会話だった。

だが礼二の中で、はっきりと気持ちが固まった。思春期の礼二の抱いていた淡い恋心が、濃いピンクに色を変えた。好き。今しがた玲とのやりとりを反芻するだけで、嬉しさが全身に駆け巡った。

『好きかも知れない』さまよっていた気持ちが、がっちりと『恋をした』という形を成した。好き。水谷 玲の事をもっと知りたいと欲求が膨らんだ───が。








午後三時半を少し過ぎた頃、中尾真也は自転車で中央図書館に向かっていた。六日前に借りた『オペラ歌手の悲愴』を返すためである。タイトルに惹かれて借りたのだが、中学生向けのミステリー小説だった。

今日、八月九日に来たのには理由がある。明日から五日間、中央図書館は盆休みに入るからだ。

盆休みといえど、本の返却は可能だ。館外に返却ポストが設けてある。期日までに、借りた本をポストに投函すれば良いのだ。

中尾は明日から暇になる。習い事の教室も、明日から盆休み。特に予定のない彼は、図書館で本でも借りて暇を潰そうと考えていた。

中尾は受付で本を返すと、小説の置いてある棚へと足を運んだ。彼はタイトルを見て、直感で読むかどうか決める。ジャンルや作家にこだわりはない。

彼は本のタイトルに目をやりながら、本棚に沿って移動した。なかなか胸に響くタイトルが見つからな──、っと中尾の背中が人と接触した。

「すいませ──」

ぶつかった後ろの女性に謝罪の言葉を云う途中で、彼は止まった。彼女も中尾の姿を見て止まっている。

彼は白い歯を見せながら云った。

「元気かい、お里」
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