【彼女のヒミツ】


塾が終わったのは午後四時前だ。仲間礼二は、自転車でまっすぐ自宅へ向かった。

水谷 玲の恋に気づいてから、すでに三日経過している。

あれから中央図書館への寄り道は自粛している。いつか父親から云われたことがある。

礼二は父親の印象に残っている言葉を反芻した。

「恋は身を狂わす。目標に辿りつく前に情事を知ると、今までの努力が砕け散るぞ」

「私は、礼二、お前を誇りに思っている。医者の息子として、恥じぬ生き方をするんだ」

礼二の父親は外科を専門としている。

大学病院の患者から絶大な信頼を得ている。患者からの感謝の手紙が病院に届くのも、ざらだそうだ。

雑誌の『安心できる医者』で、全国ベスト5に選ばれたこともある。

父親は名医と呼んで相応しい人物だろう。礼二は一人息子だ。故に両親の期待を一心に受ける義務がある。

彼もその期待に裏切ることなく、常に邁進している。

その気持ちが礼二の孤独に拍車をかけていることを、彼自身は知らない。

恋は身を狂わす。

父親の言葉を真摯に受け止め、礼二は、水谷 玲への恋を封印していた。

両親の都合の良い歯車となり、父の意志を受け継ぐのが、自分の宿命なのだと理解している。

次の交差点を南に二十メートルほど下ると中央図書館がある。

礼二は図書館を背にし、家路へ向かった。表情は暗い。

「れいじく~~ん」

それは陽気な声だった。礼二は一旦停止すると、何も考えず声のした方に振り向いた。

途端に彼は目を見張った。

礼二の目に映ったのは、中尾真也、森永里子、そして水谷 玲だった。

彼の焦点は玲に定まっている。嫌でも彼女に目が向いてしまっていた。

封印していた恋心が、噴火しそうだ。胸の高鳴りが始まった。礼二は改めて玲に恋していると実感した。

玲と、宙で一瞬視線がぶつかった。

礼二は慌てて視線をずらす。中尾が彼女たちに何かを告げると、一人で礼二のところに歩いてきた。

彼の顔は何かを企むような、不敵な笑みを浮かべている。

「な、なにか用?」礼二は疑わしい口調で彼にいった。



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