ピアノソナタ〜私がピアノに触れたとき〜
このドレスを身にまとうと


1年半前の大切な思い出が蘇る。






中2の秋


あたしのために お母さんの一時退院が認められた。



いくつかのデパートを回り、むしろ こっちが歩き疲れるほどお店を回り

やっと お母さんが納得するドレスに

このコと出逢った。


それなりの お値段だったけど、お母さんがこれが良い!って譲らなかったっけ。





そして、このコを身にまとって

たくさんのスポットライトがあたしを照らし出し…



また熱い拍手喝采のシャワーを浴びた


あの歓喜と熱気が蘇る。




あの日の気候も今日と同じくらいだったかな。



6月になったとはいえ夕方は まだまだ肌寒い。




ドレス用のショールもクリーニングのビニール包装から取り出す。




あれ〜 確か靴とティアラ、ポシェットも買ったよな…。



ヒールなしの白い靴は下駄箱にあるはず…



ティアラとポシェットは どこに仕舞ったんだろ…。




手当たり次第 探すしかない。



クローゼットの扉を閉めようとしたとき


あった!



目線を上に向けるとクローゼットの上の棚にあり、意外とあっさり見つかった。



ティアラが入った箱の横にはポシェットが並び、

さらに白い靴が入った箱も一緒に並んでいた。



そーだった!花音に いたずらされないように ここに置いたんだっけ。



背伸びをして 3つの箱を取り出す。





箱の上には 軽くホコリがかぶってたので100均で買ったモップでホコリを払い、



箱からティアラを優しく取り出す。



ローリエをモチーフとしたカチューシャタイプのキラキラがいっぱい ちらばったティアラ。



当時は あまりのかわいさに感激してたけど こーやって改めて見ると なんだか太陽の神アポロンの冠みたい。



絶対、詩音くんが着けたら絵になる。




思わず、詩音くんがローリエの冠をしてアルパを奏でる姿を想像してしまう。





ちっちゃめのポシェットはハンカチとリップ、サイフを入れるのに ちょうど良い。

ショルダー部分のチェーンがなかなか かわいいデザインになっている。



そうそうストッキングを履かなきゃね。



めったにストッキング着用しないから 引き締めタイプの着圧ストッキングで左足首にハート型のラインストーンが付いたのしか持ってない。


まあ ワンポイントだけだしドレスと靴に合わなくはない。

これで良いや!



今さら髪型のセットは出来そうもないから


アイロンで くせ毛をきれいに整えるだけぐらいしか出来ない。




これまた どかどかと廊下を渡り洗面所へと移動した。



「あちちっ!」


危うく首をやけどしそうだった。


今日は けがが絶えないような気がする。





「おねえちゃん、おひめさまみたい!」


「そお?」


花音が保育園から戻って来たとこだった。


額に汗をかいた おばあちゃんが


「いーじゃねぇか。
歌子の好きそうな服だ」


と満面の笑顔だった。



「おねえちゃん、どーしたの?」


「お姉ちゃんはな、今日 友達のパーティーさ お呼ばれしに行くんだと」


「かのんも いくー」


「花音は おらと一緒にお留守番してっぺな」


「やだー!いくー!いくー!」


「花音、今日はダメだけんども、お姉ちゃんが就職して初給料でご馳走してくれっとよ!

それまで楽しみに待ってっぺ」


「……ぅん」



うへっ!



えらい期待されてっぺな!




それ何年後の話だろ…。


早くて2年後かな…。



がんばって良いとこに就職しないと





「ただいまー」


と そこへ久しぶりに聞いた声は


「あれ、母ちゃん」


「バカせがれめが〜!
ちっちぇ子も おんのに帰って来ねぇなんざ、どーゆうことなんだぁぁぁ!!」



こっ!!



恐いっ!!




ただでさえ栃木弁は怒ったような力を込めた話し方なのに



怒りの感情が加わると それは まるで極道映画に匹敵する迫力!!




「おばあちゃん、お父さんは あたしたちのために働いてくれてるから そんなに怒らないで!」


「そーゆう問題じゃあねぇんだ!
そーゆう問題じゃあぁぁぁ!!」


「やめて!
大声出すと お隣さんに聞こえちゃう!!

恥ずかしから やめてっ!!」








「……ぉ、おお そーだな。

さて、夕飯でも作るか。今日は3人分だな」



この一言で おばあちゃんの怒りがしずまり、そそくさとキッチンへと歩みだした。





田舎の風習か

田舎の人たちは話好きが多い。


そのため あること ないことがあっとゆー間に広がるため世間体とゆーものを気にする。



さらに、そのためかは わからないけど……


想像つかないかもしれないが 人前で話すときの おばあちゃんは とても上品である。




「琴羽、おしゃらくして どーしたんだい!」


「月島ホテルで友達の誕生日パーティーに招待されたの」


「ほおー 月島ホテル!
たいそうなとこでするんだな」


「だって そのコ、金持ちだもん」


「月島ホテルか… 内装はもちろんのこと、料理が美味しくて

あそこの ジャガイモスープが忘れられないねぇ」


「お父さん、月島ホテルで食事したことあるの?」


「お客様に何度か お仕事させていただいたとき

結婚披露宴で生演奏をして欲しいって依頼があったときにさ。

でも 不景気なのか しばらく結婚披露宴の依頼がこないな…」


「…そっか」


ニュースで景気回復って やってるけど ごく一部の人達なんだな…。


「ぱぱ」


と甘えた口調で花音がお父さんの足に絡み付く。


お父さんっコの花音は お父さんが帰って来てくれて本当に嬉しそうだった。


「花音、しばらく帰って来れなくて すまなかった」


とお父さんは花音を抱っこした。



「ねぇ、今日って金曜日じゃん!
お仕事は?」


金、土曜日ってバーの稼ぎ時。



「作曲の依頼があって がんばって仕上げたら疲れてしまったから休みをいただいたんだ」


大切な金曜日に家に居てくれる。

ただ それだけが嬉しかった。


「琴羽にお小遣いをあげないとな」


「いいよ!出席費は無料だし電車賃ぐらいしか使わないから、それぐらいなら いつものお小遣いで間に合う」


まりんちゃん、美緒ちゃんじゃなくても遊ぶ時間なんてないから お金を使う機会が少ない。


「何かあったら大変だし、少し多めに持って行きなさい」


と花音を下に降ろし


ポケットからくたびれた2つ折りのサイフを取りだし


5千円札を手渡ししてくれた。


「えー、こんなに!

使わなければ そのまま返すね」


「いいさ、後で洋服でも買えばいい」


「ダメ!それじゃ あたしの気がすまない」


「あははは」




「琴羽、そろそろ時間 だいじか?」


とキッチンから心配する声で おばあちゃんの呼び掛けがあり


一番 近くにあったリビングの時計を確認すると

時は 5時を過ぎたとこだった。



我が家から最寄り駅に歩いて7、8分

電車に乗ること20分


電車の待ち時間もあるから、そろそろ出掛けた方が良いかも。


「じゃあ、行って来るね」


「おう、気をつけて行ってこい」


「はーい、行って来まーす」


「いってらっしゃい」


と玄関でお父さんと花音が見送ってくれた。






さっきオモチャを踏んづけた左足がちょこっとだけ じんじんと痛むし

履き慣れない靴だから いつもよりも歩くペースが遅い。



早めに出てきて良かった。





ところで電車 乗るのって何年ぶりだろ…。

中2の夏に映画を見に行って以来だから約2年ぶり…。



しかも そのときは4、5人で行ったから切符の購入に電車の乗り換えと問題なかった。



あの頃は無邪気だったな。




お母さんが入院したばかりで、少ししたら元気になって帰って来るものだと思ってた。




つい この前まで元気に生活してたのに

人って こんなにも弱ってしまうんだな…



って思い知らさせた。






あたしの心は…



心に ぽっかり穴が空いたまま。


その穴は、月日を重ねても、季節が変わっても埋まることはない。




いつの日か この穴が埋まる日が来るのだろうか。






やめよう。


今日は… 今日ぐらいは何もかも忘れて楽しく過ごそう!






あの日と違って今日は1人…。


あたし 方向音痴なのに大丈夫かな…。



今回は乗り換えはないし乗り込むホームだけ注意すればOKなんだし!


だいじょうぶ、大丈夫!



栃木弁なら だいじだね。


大事の意味じゃないもん。



なぜか大丈夫をだいじと呼ぶ。




だいじだ!

だいじ。


きちんと確認すれば問題ない!



と自分自身に呼び掛け、勇気づけた。



なんだろうね


この だいじって言葉に不思議なパワーがある。


くだらないことを真剣に考えてた自分に笑える。




駅は帰宅の時間のためか たくさんの人が行き来していた。


無事に切符を購入して改札口をくぐり抜けた。




案内板をよ〜く確認して お目当てのホームへ行く階段をかけ上がり、ホームで待つこと5分


♪♪♪〜

国民的人気アニメの接近メロディが流れる。




待っていた緑色の電車がゆっくり ゆっくり…

キィーーーと音を立て穏やかに停止した。



車内は意外にも空席があった。




ふと1人の男性に目が止まる。


和服姿の若い男性



同じクラスの笛吹(うすい)くんだった。
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