調導師 ~眠りし龍の嘆き~
ついさっきまでこんな兆候はなかった。

涙が滲んでくる。

確実に迫ってくる死期を感じている。

「…くな…ケシ…うか…」

もうほとんど話す力も残っていない。

「てっを…」

差し出された手を握る。

手の中には、いつも兄が大事に持っていたお守りがある。

それは、俺が兄さんの十歳の誕生日に送った物だ。

子どもで、何も買う事ができなかった。

手作りでつたないお守り。

今も持っていた事に驚く。

その想いが嬉しくて力を込めて握り返す。

《泣くな…》

「っ!!」

途端に響いてきた声は、兄のものだ。

兄の言葉だ。

《泣くな武…》

先ほどよりも握る力を強くして、一言も漏らさないように意識を傾ける。

こんな力があることを不思議に思うよりも、必死だった。

《私はもう逝くけれど、泣くな。
ずっと想っているから。
こんな一族に、いつまでも縛られることはない》

俺を想ってくれる優しい言葉。

涙が流れる。

兄だけが俺を愛してくれた。

この一族の中で、たった一人。

《悔いがあるとすれば、お前の行く道を示してやれなかったことだ。
一族に縛られている私を、想ってくれるお前を…。
足枷になってしまった。
もう出て行って良いんだよ。
自由になって良いんだよ…》

「兄さんっ…」

どこまでも優しい笑みを浮かべる兄。

自分が死ぬかもしれないこの時に、俺の事を想ってくれている。

愛しい兄。

一族の中で唯一愛した人。

一番大切な人。

《外には、お前を愛してくれる人がきっといる。
愛せる人が見つかる。
大丈夫だよ。
想いはお前と共にある》

閉じていく瞳。

抜けていく手の力。

「兄さん…っ」

《愛している。
想いは共に…。
とわに…えいえんに…》

遠のいていく声。

力の抜けた手。

弱まっていく脈。

もう戻らない。

二度と目を開ける事はない。

声を聴くことができない。

微笑んだ表情はそのまま。

眠るように旅立って逝った。

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