私んちの婚約者
side 蓮也

「入るよ」

ノックも遠慮もなくズカズカと俺の仕事部屋に入ってきたのは、愁也だった。
相変わらず不遜な奴だ。
一つ昔と違うのは、愛娘――梓音を抱きかかえていること。

「あのさー梓音を預かって。二時間程」

「……は?何故俺が」

訳が分からない。


「あんたのせいで梓がご機嫌斜めなの!たまには子供抜きで、仲良~くしようと思って」

「何故俺のせいなんだ。それと人の屋敷でいちゃつくな」

俺の言葉に愁也はニヤリと笑みを浮かべた。


「……西園寺のお嬢様のことだよ。彼女を苛めただろ。で、オトモダチの梓がいたくご立腹なわけ」


ぎくりと胸が痛むのは、彼女の姿が脳裏をよぎったから。

「苛めたなどと。馬鹿らしい」

視線を外して答えれば、愁也は勘に障る笑いを浮かべた。

「だから振られんだよ。まあ、あんな美人なら直ぐに他の見合いとか来そうだし?アンタには関係ないか。だろ?」

こいつ、嫌な質問をする。

「は~い、梓音。おじちゃんと遊んでような~」

愁也が寒気のするような形容で、俺に赤ん坊を渡して、さっさと出て行ってしまった。

「……おい」

何なんだ、一体。


けれどぷよぷよした梓音の頬をつつきながら、小さな手に俺の指を握らせるのは、案外悪くない。
年の離れた透也を見て育った俺にとっては、子供といるのは割と気分が好いものだ。

『……素直に好きって言えば』

梓の言葉を思い出しかけて。
けれど何故か、脳裏に浮かんだ姿は葵だった。

泣いて、いた。
わかってて、わざと傷つけた。
彼女にグイグイと引き込まれてゆく自分を抑えたくて。

「あーぅ」

梓音が大きな瞳で俺を覗き込む。
赤ん坊は向けられる愛情を拒否したりしない。
愛情を求めることを畏怖したりしない。

「お前のように正直になれたら、どんなに……」

思わず零れた言葉に自分で驚いた。


『正直に』

俺は自分に嘘をついた?
彼女に語ったのは本心のはずだ。


けれど、それなら。


どうして俺は、彼女のことをこんなにも考えてるんだろう……。
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