私んちの婚約者
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私はもう一度、蓮也さんの書斎の前へ来ていた。

ドアをノックすれば、中から「入れ」と声がする。
ドキドキと、同じくらい切ない痛みを感じながら、ドアを押し開けた。

「愁也、早くあのうるさいのを連れて帰れ。赤ん坊よりやかましくてかなわん」

蓮也さんは書類に目を落としたまま言う。
けれどその顔色は悪いし、あまり眠れていない様子。
苛々とペンで机を叩く姿も、初めて見る。

蓮也さんは、入ってきたのが愁也さんだと思っているよう。
返事をしない私に、ふと彼がこちらを見た。

その目が見開かれる。

「私、お話があって……」

言いかけた私を遮るように、彼がデスクから立ち上がって、足早に私へと向かってきた。

え?
ど、どうしよう、怒られる?

思わずギュッと目をつぶってしまった私は、

次の瞬間、
――蓮也さんの腕に抱きしめられていた。


「……え?」

「あなたは勝手だ」

抑えるように言う、彼。

「散々好きだなんだと喚き散らしておいて、私を振り回しておいて。勝手に婚約解消して、さっさと居なくなろうとするなんて」

「え?あの……、ごめんなさい」

彼の意図が掴めずに、混乱したまま謝ってしまう。
そんな今の私は間抜けかもしれない。

彼の言葉が分からなくて、でも一つも聞き逃したくなくて。


「私はあなたを愛してない」


言われた言葉に、心臓がギュッと痛んだ。


「そう……ですね。蓮也さんならふさわしい方がいくらでもいる。私でなくても、素敵な方が……」

声が震えて、それ以上は言えなかった。


「そうだな」


蓮也さんの声が、胸に突き刺さる。
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