私んちの婚約者
「僕が馬鹿だったんだけどねー……」

そう前置きして、社長は話し出した。



「梓の母――僕の妻の香が亡くなった時……僕は梓を放って、独りで逃げ出したんだ」



大きく開いた窓の外。
眼下にイタリアの街並みを見下ろして。

ザアッと風の音が、妙に耳についた。



目の前の男はソファに座って、組んだ両手を見つめたまま。


「あまりに辛くて、悲しくて、自分のことしか見えなくて。

育児放棄っていうの?

五歳の梓を独りで家に置いたまま、三日間失踪した」


なんて言っていいか。


俺は容易く想像できる。

脳裏に浮かぶ、小さな梓が独り待ち続ける姿。
暗闇に沈む彼女が。


「……それ、で」


渇いた口から、問いを絞り出す。


聞いて良いのか、なんて一瞬かすめた疑問。


聞かなきゃならない。
梓のことなら。

今の梓を欲しいなら、
彼女を全てを受け止めろと。


彼女を想う心が囁いた。


高宮社長はふ、と口元を歪めて、自嘲気味に笑う。

「あちこちフラフラして、バカなことして、四日目に急に我に返って。子供のことを思い出して慌てて家に戻ったよ。
そしたら」


そしたら?






「梓がサバイバーになってた……」




「……は?」
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