brother-in-law.
母ではない“なにか”
父が母に離婚を切り出した理由は今でも明確には知らない。
だけれどその日、取り乱した母を僕は生まれて初めて見た。
「……そこからは、なにもかも滅茶苦茶だったよ、」
僕の言葉に、涼太はゴクリと喉を鳴らした。
父の離婚の申し出を承認しなかった母に父は「金でもなんでもくれてやるから出て行ってくれ」と言い放った。
母は、父にもう自分に気持ちがないことを察したのか、それから一週間もしない内に僕の親権と家と大金を所望して父と別れることを受け入れた。
その時、父に僕の意見も聞かれたけれど僕は何も言えなかった。
それからは母と暮らすようになった。
最初は父がいないことや苗字が変わったことに慣れなくて不安だったけれど、母の優しさは無口な僕をいつも支えてくれた。
「…母さんとなら、大丈夫だって、思った」
「…」
「だけど、父さんが再婚したって話を聞いたんだ」
母は泣いていた。
子供みたいに大きな声で、たくさん泣いていた。
きっと母は、父のことを愛していたんだと思う。
そしてそのショックからか、母は家のことをなにもしなくなった。
壊れた玩具みたいに、ずっとずっとテレビを見て動かなくなった。
どれくらい経ったかはわからないけれど、僕が家事を完璧にこなすようになった頃、母は父から貰った沢山のお金を財布につめて夜遅くまで遊びに行くようになった。
朝まで帰ってこないこともあった。
人が変わった様だった。
「…だけど今度は僕が、母さんを支えてあげるんだって思ったよ」と言えば、涼太はボロボロと大粒の涙を流して此方を見ていた。
黙って繋いでくれた手が、とても暖かい。
母さんはそれから、家に知らない男を連れてくるようになった。
恋人なのかとも思ったが、なんだかそういう雰囲気ではなくて、僕はその頃から家に居難くなる。
母の寝室から時折聞こえてくる“女と男の声”に吐き気がして、大きな音楽をヘッドホンから流しては知らないふりをした。
そんなある日、母はいつも連れてくる男に別れ話をされていた。
泣き叫ぶ母の声と、怒鳴る名も知らぬ男の声に、僕はヘッドホンをはずした。
母とその男の会話からわかったことはあまりない。
だけれど、男が既婚者だったという事実が聞こえた瞬間、僕は視界がグルグルしてトイレに駆け込む暇もなくその場に嘔吐した。
生理的な涙と喉に残る不快感を連れて、僕は部屋からでて母と男がいるであろう場所へと向かった。
「なんだよこの餓鬼」と此方を睨んできた男に僕は「出て行け」と大きな声で叫んだ。
驚く母を横目に、僕はもう一度「出て行け」と叫ぶ。
自分でも驚いてしまうくらい、それは大きな声だった。
男は舌を一回打ち鳴らしてから僕たちの家を出て行った。
母の顔を見れば、母は驚いたような悲しいようなそして愛しそうな顔で僕に微笑んでいた。
一瞬でも、これで元に戻れるなんて思った自分の考えが、崩れ去った瞬間だった。
久しぶりに顔を合わせた母の顔は“母親”ではなく、“女”の顔をしていた。