アイドルとボディガード
今日は、音楽番組の収録だった。
千遥は白いワンピースをはためかせながら、CMの歌を歌っている。
昨日は、この収録の振りつきのために夜遅くまでダンススタジオで練習していた。
奴はダンスが苦手らしくずっと同じところで間違っていた。
収録も、ちょうどその問題のところに差し掛かる。
手つきがぎこちなくなるもなんとか誤魔化して乗り切った。
俺は遠目で見ながら思わず苦笑してしまう。
それに気付いたのは俺だけではなく。
「今、間違えたね」
藤川さんはそう言うと、今の間違いにため息をついた。
俺の隣で腕を組みながら見守っていたのだ。
「はい」
あのちょっとした口論以降、ぎこちなくなるかと思ったが案外そうでもなく。
藤川さんはいつも通り普通に接してくれる。
しかし、だからといって俺のやり方に納得したという訳ではなく、お互いの関係を悪化させることで仕事に支障がきたさないようにしているのだろう。
「でも歌はいいね。あの子は声が綺麗なんだよ」
「まぁ、歌はそれ程上手くないですけど」
「また桐生君は厳しいこと言って。それ、あの子には言っちゃダメだよ。今ナイーブだから」
「ナイーブ?」
「気付いてないの?口数は少ないし、ご飯もあまり食べないし……。この前のこと相当ひきずってるみたい」
「あぁ」
「仕事中は笑顔で頑張ってるけど……」
確かに、この前のドラマの一件からあまり話さなくなった。
傍目にも引きずっているのが分かる。
今までの俺達に会話らしい会話なんてのはなかったが、千遥から話しかけられなくなると会話が全くといってなくなった。
奴は、送迎の車内でもずっと無言だった。
食欲もないのか、最近用意された弁当もあまり食べていない様子。
「本人は辛いだろうけど、今が頑張り時だからなー」
そう言って藤川さんは千遥を心配そうに見つめた。
旬と言われる存在は誰もがそうなのだろう。
旬が過ぎ去ったあとのことを考えなくてはいけない。
今後どうやって芸能界で生き残ってくか。
千遥だけではない、藤川さんも悩んでいるのだ。
収録後、いつも通り千遥を家まで送り届ける。
昨日夜遅くまでダンス練習していたせいだろうか、奴は車に乗ってものの数分で爆睡し始めた。
家まで着き起こそうとすると、俺の愛車のシートによだれを垂らしていたことが発覚。
イラっとするも、さっきの藤川さんのナイーブだからという言葉を思い出し、口から出そうになった罵声を飲み込み優しく起こした。
奴はありがとう、と言って降りようとバッグを持ち上げたところで、何か慌てたようにバッグの中身を確認し始めた。
「あ…っ、どうしよう。台本置いて来ちゃった」
久しぶりに仕事以外で聞いた声。
それは今までの強気な態度や口の悪さが嘘のような位、弱々しく小さなものだった。
申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「事務所か?」
「本当、ごめんなさい」
「気にするな」
そう言って俺に頭を下げる。
普段だったら憎まれ口の一つや二つ言ってたのだろうが、今は口を閉ざす。
千遥はその俺の一言に少し驚いた様子。