アイドルとボディガード
「千遥」
声をかけると、千遥ははっとしてごめんと謝り歩き出した。
千遥の足取りはどことなくふらついている。念のためさり気なく、千遥の後ろを歩いた。そうして事務所を後にした。
本日二度目の帰りの車内は重い沈黙が流れる。
さっきも会話はほとんどなかったが、今程空気は重くなかった。
千遥は寝ることもなく、ただ静かに窓の外の流れる景色を眺めていた。
あんな話を聞いて泣き出すかと思ったが意外と冷静に受け止めているようだ。
そんな中、唐突に千遥が口を開いた。
「……藤川さんさ、あのネクタイピンめっちゃ喜んでくれたの」
「あぁ」
それは、思いがけない切り出し。
そういえばこいつと買いに行ったことを思い出す。
ネクタイで迷って結局ネクタイピンを買ったんだった。
どうしてまたこんな時にそんな話を。
「あの人本当に優しいから、私が自分から辞めるって言い出さない限りずっとあたしのこと見捨てられないと思うんだよね」
「……そうだな」
「ダメだよねー、あんな社長に歯向かったりしたら仕事やりづらくなるだろうに」
少し震えている声。
強がっているのか、わざと明るく振る舞う。
「私なんかのせいでさ。やっぱ、無理だったんだよね。普通の女の子に芸能界なんてさ。こういうとこはさ、やっぱ特別な選ばれた人が成功できるところで……」
震えそうな声はどんどん小さな声になり、聞き取るのがやっと。
「……私なんかが頑張ったところで、」
ちらりと千遥の顔を見る。
もう少しで泣きそうな顔。悔しそうに大きい目に涙を浮かべて、口元をきゅっと噤んでいる。それでも下を向かないのは、今にも涙が零れてしまいそうだからか。
彼女はきっと家に帰って1人泣くのだろう。
もう家に着く。
千遥の家はこの交差点を右にいったところ。
なのに、俺は気付いたらハンドルを逆にきっていた。
どうしても1人では泣かせたくなかった。
思いつめた彼女が明日から仕事に来なくなってしまうような気がして。
「……そっちはうちじゃ」
「ちょっと付き合え」
気付いた千遥が慌てるが、俺は車のスピードを上げて首都高へ乗った。
思いがけない俺の行動に、不安そうに見つめていたが観念したのか大人しくまた外の景色を見始めた。
「綺麗……」
しばらく走っていると見え始めた東京湾の夜景にぽつりと声を漏らした。
「東京ってすごいね。この小さな一つ一つの光に人が生活してるんだもんね?あたしんち結構田舎にあるからさ。当たり前だけど東京の夜景って田舎と全然違う」
外を眺めながら夜景をぼーっと見つめている。
「田舎なんてもうね、夜になると道なんか誰も出歩かないし、街灯しか光がなくなっちゃうんだ。でもその分、星が綺麗なんだけど」
「帰りたいか?」
「……ううん、元々地元が嫌で逃げ出すようにしてこっちに来たんだもん。あたしね高校からこっちに1人で来てるんだけど、地元の中学であまり周りと上手く行ってなかったんだよね。…あ、ごめんこんな話興味ないよね」
会話中、突然我に返ったように慌てて、ちょっと恥ずかしそうに謝った。
「続けろよ」
「え?」
「ちゃんと聞いてるから」
「……ありがと、正直ね学校にいる意味が分かんなくて。なんでこんな思いしてまで行かなきゃいけないんだって。誰もあたしを必要としてないし、むしろ来んなとか言われるし。で、そのうち学校行かなくなった」