アイドルとボディガード
帰りの車内、千遥はまだひくひく言っていた。
明日の仕事はなんだろうか。
ちゃんと行けるだろうか。
こんな状態で……
「家、1人で大丈夫か?」
返事はない。
ただ下を俯き時折鼻をすすっている。
大丈夫な訳ないだろう、俺が少し離れようとしただけでしがみついてきたんだ。
「俺んち来るか?」
そう聞くと千遥はこくんと頷いた。
俺のマンションへ着くとソファーに座らせた。
とりあえずホットミルクを出してたが、奴は口をつけなかった。
「明日事務所まで送って行ってやる何時に着けばいい?」
千遥からの返事はない。
だめだ、これ。
藤川さんにメール打っとくか
「シャワー、借りていい?」
やっと、口を開いた千遥。
「あぁ、そこ。タオル好きに使っていいから」
バスルームを指して場所を教える。
千遥はふらふらとおぼつかない足で向かって行った。
藤川さんへ、明日仕事に行けないかも、とメールするとすぐ返事が返ってきた。
今日あったことを細かく説明すると、彼は動揺したようだったが、仕事のことはどうにかする、千遥を頼むとお願いされた。
千遥がバスルームに入ってから余裕で1時間は経ってる。
さすがに遅くないか。
まさか中で手首切ってんじゃ……
あいつの手首から赤い血が流れて、風呂場が赤く染まっているところを想像してゾっとする。
脱衣所に入り、風呂場にいる千遥へ話しかける。
磨り硝子の向こうで、千遥は座って体を洗っているようだった。
「千遥、大丈夫か?」
返事はない。
再び声をかけようとした時、中から千遥の震えるような声が聞こえてきた。
「……大丈夫じゃない」
「何が?」
「首が……首が、ぞわってするの。あいつに口付けられたとこ」
「千遥、俺一回出るからもうそこから出てこい」
「洗っても、洗っても消えないの……」
ガシガシこするように洗う音。
嫌な予感がして注意する。
「お前、こすって洗うなよ」
「だって、全然消えないんだもん……!」
「分かったから、やめろって。明日も仕事あんのに跡残るぞ」
「……仕事なんてもう、どうでもいい」
千遥から初めて聞いた弱音。
どんなに落ち込んだ時でさえ、仕事をおざなりにするようなことは絶対に言わなかったのに。
そんな一向に出てくる気配のない千遥に強引に押し入った。
「ちょっと……っ!」
奴はびっくりして体を隠そうとしたが、その前に見えた真っ赤になった首元に愕然とする。
「バカ、何やってんだよっ」
思わずでかい声を出してしまう。
「だって、消えないんだもん!」
「どうすんだよ、明日も仕事あるんだろ」
「……仕事なんてどうでもいい、アイドルなんてもうできないっ」
顔を歪め泣き喚きながら訴える。