虫の本
 注文を取りに来た美人のウェイトレスも、俺と由加の騒がしいやりとりを横目で睨んでいた休憩中のビジネスマンも、入り口付近ですれ違った家族連れも、俺達の挙動には確かに反応していた。
 けど、彼らは不測の事態──つまり、赤髪の少女に関する出来事にだけは、反応できていなかったのではないだろうか。
 それじゃあまるで、彼らは決められた事しか行えない機械のようじゃないか。
 台本通りに舞台で踊る事しか出来ない、糸で吊された操り人形のようじゃないか!
 だから、“声は聞こえない”し“筋書きに無い俺と由加の無線飲食を止めなかった”というのだろうか!?
「ひ、大樹……」
 俺と同じ結論に達したらしい由加が、不安げな声をあげた。
 急に世界が薄っぺらくなった気がし、由加の声すら壁越し──いや、遠い世界から発せられたもののように聞こえる。
 俺達以外に、まともな人間は居るのか?
 家族、友達、先輩に後輩、教師、話した事もない誰か……たった一人でも“人形”でない者はいるのか?
 一体何が起きているって言うんだ!?
「心配する事はありません。あくまでも“まだ”と言う段階ではありますが、私が現れた事以外には表立った異常は起きていませんよ」
 この赤髪は“自分が現れた事自体が異常”だと言い切った。
 現れた事が異常。
 居るべきではない存在。
 じっくりと彼女の言葉を噛みしめる。
 …………。
 嘘は無さそうだ、残念ながら。
 そろそろ認めるべきだろうか。
 彼女が、俺達の常識では計れない存在であるのだと。
「元々、そういう物なんです。主人公が居て、それに関わる人物が居て、ストーリーがあって、それを飾るだけの個性すら持たないエキストラが居て」
 主人公は自己の意識から性格設定、生い立ちに至るまで、色んな設定があって良いですね。
 さぞかし色々と“思う事がある”ことでしょう。
 そう言って、こちらを見下ろす少女。
 その瞳には、どういう訳か僅かな羨望が見え隠れしていた。
 だとしたら。
「……君は何者なのかな?」
「私は──」
 少女の顔が、とても無表情に見えた。
 いや、無表情を通り越して無機質にすら見えた。
 まるで、“人形のようだ”──何故か俺はそう思った。
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