虫の本
 俺は辛うじて生き延びられただけであり、大局的に見れば惨敗だ。
 いくら奴を言い負かした所で、もはや尻尾を巻いて撤退するしか道は残されていない。
 しかし、トリ野郎も俺に逃げられては勝利条件を満たせないのだ。
 だから分かっていた。
 例えB・Bを封じられても、俺が白紙の栞を手に入れたとしても、奴は必ず俺の命を刈り取りに向かってくると。
 既にどこを見ても灰色に飲まれた世界だ。
 かなり気を付けて歩かなければ、俺はあっという間に灰色に取り込まれてしまう──時間を掛け過ぎたせいで、辺りはそんな惨状となっている。
 つまり、俺を軽く突き飛ばすだけで、俺に由加と同じ運命を与える事が出来るのだ。
 最初から公平なバトルフィールドじゃない事は、十分に分かり切っている。
 それでも奴がすぐに俺を灰色に放り込むような真似をしなかったのは、自分の力に対する自信によるものか、あるいは本当に弱者をいたぶる事が楽しくて仕方がなかっただけなのか。
 だがしかし、それもここまでだ。
 何度も王手をかけておきながら、最後に俺に逃げられては全てが水の泡。
 弾けて、散って、何も残らない。
 そう、ピンチに切り札を惜しむな、である。
「ここまで──ここまで来て、今さら逃がしてなるものかあっ!!」
 咆哮と共に奴の翼が大きく反り、即座にしなり、その身が信じられない速度でこちらに迫る。
 一歩の歩幅が、明らかに人間のそれとは違う。
 生身の人間の身体能力では決して成し得ない、驚異的なスタートダッシュだった。
 すなわち、トリ野郎の大きな白い翼が飾りでない事の証。
 しかも奴は灰色に触れても全く影響が無い──それは、由加を灰色から引きずり出した時に確認済みである。
 真っ直ぐこちらに向かって突き進んで来るその姿は、まさに白いミサイルと呼ぶに相応しい。
 ……お見通しだけど。
 それを踏まえての三十歩、いや、二十九歩だ。
 その距離は、奴の異常な加速を以てしても、一瞬で詰めるにはあまりに遠過ぎる。
 強化時の赤髪に比べ、あまりにも遅過ぎる。
 そんなトリ野郎を余所に、赤髪はのんびりと俺の質問に答えてきた。
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