虫の本
「私の名前ですか? フィギュア、そう名付けて貰いました」
「何だそれ、人形(フィギュア)? それが人間に付ける名前かよ。親はどんな奴だ、俺がブッ飛ばしてやる。そうだな、全改名には抵抗あるだろうから……よし、今日からお前の名前は“フィー”だ、良いな?」
 そこで、俺と赤髪フィーの声はかき消えた──事になるのか。
 声だけではなく、その姿もだ。
 白紙の栞の発動、図書館とやらへの逃亡である。
 それもまた、打ち合わせ通りのタイミングだった。
“速さ”と騙し合いで俺に勝てると思うなよ、トリ野郎。
 あんたの嘘は由加のそれに比べてあまりにも軽く、あまりにも薄かった。
 俺に見切れない道理は無いのである。
 そう。
 俺に手を出した事自体が、あまりに手“遅れ”過ぎたのだ。

 右も左も前も後ろも分からない闇一色のその場所で、最後の最後に飛びかかってきたトリ野郎に対して、俺は少しだけ同情してみた。
 赤髪と共に“本”から脱出する直前に、俺が白いミサイルに向けて投げつけた小瓶。
 それは掌に収まるサイズの、安っぽいプラスチック製の小さな小瓶だ。
 言い忘れたけどさ、そかのままこっちに向かって来たら、色々と危ないぜ?
 小瓶は、赤髪──いや、フィーから逃げるのに役に立つのでは、と思って喫茶店のテーブルからくすねて来た秘密兵器なのだから。
 もちろん、小瓶の蓋を外しておく事に、抜かりは無い。

 こうして、嘘から始まった物語は、嘘と騙し合いによって成り立ち、飛散した粉末胡椒で締めくくられたのだった。
 締まりのないバッドエンドは、後悔しながらも嘘を吐き続ける事を止められなかった俺に相応しい、情けない物だったと思う。
 あの時。
 幼い頃。
 裏路地で迷った由加を見つけた時に吐いた、照れ隠しの嘘。
 もしもあの時、お前を探しに来たんだよと素直に言えていれば、由加は嘘吐きにならなかっただろうか。
 そうしたら、こんな醜い騙し合いを経て、由加と決別するような事にはならかったのだろうか。
 今となっては意味を為さない後悔を胸に、俺は大事な人に向けて「すまなかった」と謝罪の言葉を残すのだった──
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