虫の本
 宇宙。
 真空に近い空間、銀河、天体、膨張、ダークマター──
 私は宇宙という単語から、思い付く限りの連想をしてみるが、いまいち彼の言う意味はよく分からなかった。
 実に回りくどい言い方をしたものである。
「ほほう、意外と知識はあるみたいだねえ。天文学に興味がある?」
「いえ、雑誌やテレビとかで少しかじった程度ですけど……」
「それは重畳。話が通じる程度の知識が有れば問題無いよ」
 良いんだ。
 適当だなあ。
 というか、声に出してない言葉にまで突っ込みを入れるのは、いい加減やめて欲しかった。
「で、図書館が宇宙って、どういう喩え話なんでしょうか?」
「喩えと言うか、宇宙そのものなんだよねえ。それでもあえて言うならば、これ、君には何に見えるかな?」
 彼が右の親指と人差指でつまみ上げたのは、一冊の本だった。
 しかし、その汚物に対するような仕草も仕方が無いかな、とも思う。
「……すっごいぼろぼろの本、で当ってます?」
「そう、形こそ辛うじて本だと見て分かる程度の、ぼろぼろで、ズタズタで、虫食いだらけで、汚らしく、破れかけで、崩れかけで、完全に物体として終わっており、正直言ってあまり素手では触りたくはないような代物」
 しかし彼は、その原型を残さないほどズタボロになった“かつて本だった物”を、ゆっくりと丁寧に床へと置いた。
 って、私はそこまで酷く言ってないし。
「しかし、かつては本だった物、つまり当館の蔵書の一冊なんだ。割とありふれた内容の、恋愛小説だったっけねえ」
「恋愛小説……」
「物語のジャンルの一つだね」
 言われてみれば、簡素なデザインの表紙や、全体的に淡い色遣いの装丁からは、かろうじてそれらしい雰囲気が見て取れなくもない。
 いやいや、“司書”さんさんが言うのだから、きっとそうなのだろうし、違っていた所で私には関係の無い話である。
 私は意識を散らさずに、彼の言葉の続きを待った。
「この中には、一つの物語が詰まっていたんだ」
「物語」
「そう。世界という名の舞台があって、登場人物という名の住人が居て、歴史と言う名のシナリオがあって、そして起承転結があって」
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