学園マーメイド
私は足音を立てないように、当主の部屋の前まで来ると、小さく襖を開けて中を覗いた。
当主は具合が悪いのだろうか、畳の上に布団が敷いてあって、そこに上半身を起こした状態だった。
そして川上はその布団の横に正座をしている。
かろうじて音も聞こえてくる。
心の中の自分が“聞いちゃいけない”と制したが、私はそれを振り払った。
「ご無沙汰しております」
「……毎年、この日だけは帰ってくるのだな」
皮肉めいた当主の声が言う。
「今年は日本に帰ってきています。……来春には帰りますが」
川上の声が緊張しているように聞こえるのは気のせいだろうか。
背中がピン、と張っている。
「今年は……?何かあったのか」
「……はい。蒼乃の水泳の講師として日本に帰ってきているんです」
名前を呼ばれてドキリ、とした。
悪いことをしているという罪悪感もきっとあるのだろう。
握り締めた手に汗が滲んでいくのを感じた。
「お前……、蒼乃の為に帰ってきたのか」
「実を言いますと、蒼乃の通う学校に申し出たのです。講師をさせて欲しいと」
「……計算高い男だな」
「いやいや。……ただ、蒼乃に会いたかっただけだったんです」
瞬きを繰り返して、彼らが言っている意味を理解しようと思った。
川上が口に出した言葉は頭の中をグルグルと回って、混乱させる。
申し出た?学校に?講師をさせて欲しいと?
川上と私の出会いは偶然ではなかったという事だ。
背中に冷たい汗がツーっと走る。
「会ってそれでいいと、そう思ったんです。……でも、蒼乃と毎日接していくうちに会うだけでは気持ちは抑えられなくなっていました」
足を回転させて、後ろを向かなくては。
そう思うのに動かない。大事なときにいつだって体は無能だ。