学園マーメイド

彼の真剣な瞳から逃れられず、呼吸が落ち着く。


「逃げてるんだよ、結局。過去からもラビ先輩からも、……そしてお兄さんからも」


陸嵩は安定した口調でそう告げると、私から目を逸らした。
そして頬を殴った掌を見つめ、ぎゅっと握り締め、解く。
その行動を一個一個逃すまいとするかのように、瞳は彼の動作を追っていた。
―――…ドクン、ドクン。
心臓が脈を打つ。


「俺、出ますね。なんかあったら携帯に連絡ください」


彼は静かに顔をあげ、私と雪兎を交互に見ると瞳を伏せた。
そのままドアのほうへ向かって歩き、もう一度私の瞳を黒色の優しい瞳で見つめると、静かに部屋を後にした。
ぱたん、閉められたドアの音が痛々しくも優しくも聞こえる。



―――『逃げてるんだよ、結局』



逃げている、逃げているんだ。
でも何から?



―――『過去からもラビ先輩からも、……そしてお兄さんからも』



ああ、そうか。
私は逃げていたんだ。
そうだ、私は逃げていたんだ。

頬がじんじんと痛む。だけどその痛みが麻痺した心を正常にする。
逃げるな、前を向け。
涙すら忘れていた心に、響いた痛みは体中の細胞に刺激を与えて叫びだす。
私はゆっくりと叩かれた頬に手を置き、摩ってみる。
熱い、熱を帯びている。この熱は、正気でいさせてくれる。


「蒼乃」


名前を呼ばれ、びくりと肩が揺れる。だけどこの声から逃げてはいけない。
もう分かったでしょう?


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