愛という名の世界
第17話
第17話(side story 14)


 純子は笑顔ながら目つきは真剣で冗談で言っていないということが分かる。互いに何でもするという大きな賭けに、流石の勇利も緊張が走る。自身の存在を軽んじている勇利にとって、命を懸けるというような賭けならばそう苦ではない。しかし、自分の言動や人生を大きく拘束されるような命令をされると厳しくなる。
 過去いろいろと無茶をやってきた勇利だが、全て自分の意思で行ってきていた。しかし、現状それができなくなる可能性が出てきており返答に戸惑う。仮に十年ただ働きをする、マグロ漁船に乗れ、とか言われた場合はかなり精神的に追い込まれることになる。
 自由ほど大切なものはないという考えがいつも根底にあり、回答と引き換えに得られるものの大きさとデメリットでの狭間で悩む。黙して考え込んでいる様子に純子は語り掛ける。
「何に悩んでいるのか分からないけど、やり直すチャンスがあるのなら、引き返すチャンスがあるのなら、それに乗らない手はないんじゃないかしら?」
 純子と視線が合うとさらに続ける。
「昔、私には好きな人が居たわ。親や友達の反対を押し切ってまで付き合いたいと思うほどのね。でも、彼は自分の夢を追う為に私を捨てた。彼の夢を応援する形で身を引いたけど、それでもたまに思い出すの。あのときすがり付いてでも側に居たら、今は彼の隣に居られたのかもしれないって」
 弥と似たような過去を聞き、勇利の胸も熱くなっていく。
「私には引き返す勇気もなかったし、今となっては引き返す時期も過ぎ去ってしまった。私は自分で自分の人生を諦めた人間。幾ら裕福であろうと心が満たされていなければ、人として生まれてきた価値なんてないわ。優星、私が貴方を支援していた理由は、純粋に楽しかったこと以外に、昔の私と同じ目をしていたから。人生を諦め生き急ぎ、自分を追い込む、儚く痛々しい人生。まるで過去の自分を見ているようで辛かったのよ」
 純子の過去を勇利も翔も黙ったまま耳を傾ける。
「でも、貴方の目の前にはやり直すチャンスがある。貴方の未来はまだ始まったばかりよ。さあ、優星、答えて。限られた期間の命だとしたら、貴方は何をする?」
 笑顔が消え真剣な眼差しだけを向ける純子の意思を受け、勇利は何を言わんとしているかを悟る。回答が純子の望むものならそのまま叶え、違っていたら純子なりの支援をし強制的にこの世界からの卒業を促す。
 どう足掻いても勇利をホストから引っ張り上げ、元の道に戻そうとする純子の姿勢が嬉しい反面、自分だけまともな人生を歩もうとする様が受け入れ難い。過去とは言え、たくさんの人間を傷つけ亡くしたことを思うとなかなか踏ん切りがつかない。さりとて真紀が言っていたように、弥が今の自分を見て褒めてくれるとも思えない。
 弥という熱い存在を心で感じた雨の中での謝罪。初めての食事に初めてのデート。公園で並んで見た夕焼け。そして……
「もし、空条君が教師になったら、生徒第一号は私になるわね」
 駅の待合室でそう言った弥の笑顔が脳裏をよぎると、勇利は自然と夢を口にしていた。
「教師になりたいと思う。一年という期間とは全く見合わない夢だけど、そう思う……」
 ポツリとそう言った勇利を純子は笑顔で見つめる。翔も不敵な笑みを見せデスクをごそごそし始める。
「素晴らしい回答ね。分かったわ、貴方が夢を叶えられるようにできる限りのことをします」
「純子さん……」
「期間なんて関係ないわ。単純に自分の人生が残り少ないと感じたとき、人は自分の本心が見えてくる。私は優星の本心が見たかっただけ。数日中には連絡を入れますから、それまで外出はせずご実家にて待機してなさい。これは絶対条件よ」
 有無を言わせない迫力に圧され、勇利は頷く。
「私からの話はこれで終わり。後はオーナーと解雇の手続きをしてちょうだい」
 そういうと純子はポケットからタバコを取り出し火を点ける。ソファを立ち翔のデスクへ行くと書類を出される。
「これはお前が書いた履歴書だ。年齢や内容が嘘っぱちのな」
「それは言いっこなしですよ。翔さん知ってたんだし」
「まあな、これは自分で処分しとけ。今日中にだ。いいな?」
「はい」
「それと……」
 履歴書の上に分厚い封筒がドンと置かれる。
「餞別だ。これと今までの給料があれば学費とかは大丈夫だろう」
 パッと見ただけで五百万円以上はあり、勇利は焦る。
「いや、でもこんな大金悪いですよ!」
「勘違いするな。半分以上はお前への制裁金や遅刻罰金だよ」
 そう言われると、自分がどれだけ店に迷惑をかけたのかを実感し申し訳なくなる。履歴書と封筒をスーツの内ポケットにしまうと翔が口を開く。
「まあ今までいろいろあったが、お前、もうこの世界に戻ってくんなよ」
「翔さん……」
「それと……、ああ、いいや。とにかく、もう振り返るな。店を出たら俺たちとお前は縁を切る。それくらいのつもりでいろ。いいな?」
「分かりました。今まで大変お世話になりました」
 深々と長い間頭をさげると勇利は社長室を後にする。そして、フロアに向かう廊下を歩きながら勇利はふと同僚たちを思い出す。解雇と減給に茶々を入れていた同僚を最後に殴り飛ばすのも手だと一瞬思うが、それがこれから教師を目指す人物像とも思えず考え直す。頭を掻きながら気まずい面持ちでフロアに戻ると全員が店の入り口まで並んで整列しており、勇利は目を丸くした。
「な、なんだ? これ?」
 うろたえる勇利に陸斗が歩み寄り話し掛ける。
「実は、優星さんが今日卒業するの皆知ってたんです」
「えっ?」
「いろいろ事情があってホストをやってたんですよね? で、貯金が貯まったから再度夢に向かってここを後にするって」
「一体誰に聞いたんだ?」
「勿論、翔さんですよ」
 全てが翔の手の平であったことを知り、笑いが込み上げる。苦笑いしている勇利に周りから野次が飛ぶ。
「おい優星! 勝ち逃げしやがってムカつくんだよ!」
「そうだ! 半年でナンバー3とか生意気なんだよ。居なくなってせいせいするわ」
 解雇と聞いたときにも野次っていたメンバーが声をあげ、それに同調するように周りも声をかける。
「もうここにお前の居場所はねえ、さっさと出て行け!」
「出てけー!」
 出て行けコールが鳴る中、勇利は悠然と入り口へと向かって歩いて行く。手荒い洗礼を浴びながら階段を上り店の外に出ると、背後から蓮夜を筆頭に勇利の前に現れ背後に立つ。振り向き目が合うと蓮夜がおもむろに口を開く。
「優星、もう二度とここには戻ってくるな。ここはお前みたいな人間の来るところではない」
「蓮夜さん」
「ここは騙し騙される裏世界。表の世界で夢を見てるお前には向いてないよ」
 さっきまで野次っていた者も蓮夜の言葉を静かに聞き、仲の良かった陸斗は寂しそうな顔をしている。
「さよならだ、優星。お前の未来が明るくなることを陰ながら祈ってる」
 差し出される手を握り返すと勇利の両目からは何故か涙が溢れ、ここに来てからの半年が甦る。トイレ掃除から始まった見習い時代。すぐに付いた常連からのストーカー被害。仲間内からのひがみや妬み。そんな苦い経験すら、懐かしく良かったと思える。握手を終えると背中を向け駅へと歩き出す。背後からはさっきの野次組が声を荒げる。
「もう帰って来んなよ馬鹿野郎! お前のことは忘れねえよ!」
「寂しくなんてねえからな! 頑張れよー!」
 応援するか野次るかどっちかちゃんと決めとけと思うが、そんな不器用な仲間の声援に涙が零れる。笑顔で涙を拭いつつ、勇利は右手を高らかに挙げそのまま歩き去って行った。

 その頃、社長室では純子がソファに座ったまま携帯電話で会話をしており、翔がその様子を見守っている。
「はい、そう言うことなので先生にはご足労おかけしますが、宜しくお願い致します。はい、失礼致します」
 通話を終えると同時に正面に座っていた翔が話し掛ける。
「どうだって?」
「大丈夫、全て上手くやってくれるって」
「そうか、何よりだ」
 満足そうに翔は微笑み、純子も同じように笑み見せる。
「それにしても、本当に翔の言う通りになったわね。なんか嬉しいわ」
「そう言って貰えると、夢を追って誰かさんを捨てた男としては本懐だ」
「あら? もしかしてさっきの話、気にしてたの? 意外と小さい男ね」
「ほっとけ」
 照れ隠しする翔をみて純子はクスっと笑う。
「半年前に見てほしい新人がいるって聞いて来てみたら、昔の私みたいで微笑ましかった。それからすぐに優星の身辺調査して休学扱いの申請までするなんて、お人よしすぎると思ったけど、今となっては良かったと思うわ」
 翔はまだ照れているのかそっぽを向いている。純子はソファから立ち上がると翔の真横に座り、黙ってその逞しい肩にもたれ掛かる。その行動に翔は口を開こうとするが、純子から人差し指を当てられ封じられる。
「今だけ、少しの間だけでいい。昔の気持ちで居させてほしい。こんな晴れやかな気持ち、もう二度と味わえないような気がするから……」
 すがるような真剣な眼差しに、翔は沈黙で応える。その気持ちに甘えるかのように純子は目を閉じ、幸せそうな笑みで寄りかかっていた。
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