愛という名の世界
第22話
第22話(side story 18)
「キャパシティに問題があるのか。そもそも人間とはこんなものなのかもしれないが、実際に経験するとなかなかに不便なものだ」
『それ』は自身に起きている現象を冷静かつ客観的に捉えつつも、現状を打開する術もなく、このままでは生命活動に支障を来たすことも理解していた。ただ、今持ち得る思考と肉体の限界の齟齬によりどうすることがベストなのかを計り兼ねている。
木の根元に座り込み出血している足を見つめるが、特段の感情は湧かない。むしろ何故靴の物質化をしなかったのか、それを忘れるような人間という存在になった自分自身に興味が湧いている。
「面白いな人間は。完璧でないゆえの美しさと脆さとは良く言ったものだ。全てにおいて目が離せない。そして数日もすれば私は私の使命すら忘却し、より人間となるのだろうな」
出血している足もそっちのけで、それは自身の手や顔をペタペタと触り、感覚を楽しんでいる。全てが新しい経験であり、全てが自身の今後の動向を決める。地球の存亡が差し迫っていることすら忘れ、興味の対象として降りた自分自身にそれは没頭していた。
足場の悪い茂みを掻き分けながら勇利は林の奥へと進む。木の幹に白いチョークで目印をつけつつ歩みを進めるが、自身が見た白い物体は見当たらない。
「やはり気のせいか。こんな足場の悪いところを進んで歩く人間なんていないしな。とっとと元の道に戻るか……」
崖付近まで来ると見切りをつけて踵を返す。しかし、次の瞬間、通り過ぎた木の根元に座り込む女性を見つけ驚き飛び退く。
「び、びっくりした! ちょっと、アンタこんなところで何を……」
真っ白い民族衣装のような服を着たその女性の顔を見た瞬間、大きな鼓動と共に勇利の中の時が確実に止まる。
「き、君島先生!?」
勇利にそう言わせしめるほど女性の容姿は弥に似ており、女性は座り込んだままじっと勇利を見つめている。容姿は疑いようのないほど完全に弥であるが、事件で亡くなったことも勇利自身が見て確認している。
一つ違う点があるとするならば、瞳の色が日本人離れした青色の光を発しているところになる。疑問や戸惑いや驚き、様々な感情が交錯する中、女性の足から見られる出血に気がつき我に返る。
「あ、足大丈夫ですか!?」
焦りながら駆け寄ると女性が初めて口を開く。
「貴方は誰?」
「え?」
「貴方は誰?」
弥と瓜二つの顔とその声色にドキリとするが、聞かれた問いに素直に答える。
「僕は空条勇利。貴女は?」
「私は誰でもない」
「えっ? 誰でもない?」
「空条勇利、人間とはとても面白いな。なぜこんなにも脆く頼りないのだろうか。それでいながら永きに渡って地球で繁栄し続けている。興味引くことばかりだ」
怪我をしながらも平然とした顔で人類の繁栄を語っており、その様から普通の精神状態にないであろうと勇利は推測する。服装や言動から普通ではなく靴を履いていないことからも、どこかの施設から抜け出てきた可能性を一番に考える。登山や一般人の遭難の可能性もなくもないが前者が濃厚だ。
いずれにせよ怪我人をこのまま放置する訳にもいかず、弥に似ていることに戸惑いを感じつつも、思考を切り替え勇利は問いかける。
「取りあえず足の怪我の手当てをしてもいいですか?」
「そうして貰えると助かる。空条勇利は良い人間だな」
「普通ですよ。困っている人がいたら助ける。誰だってそうすると思います」
バッグを降ろし簡易救命セットから消毒液と包帯を取り出すと、手際よく手当を進める。消毒液を掛ける際に痛そうな顔をしており、人間らしい感覚はあるのだと理解する。包帯を巻く際には気づいていたが、傷口は浅くはなく医療施設に搬送した方が良いと判断していた。
「応急処置は済みましたが、すぐに病院へ行った方がいいですね。僕が背負いますので下山して病院に行きましょう」
「そうか、では空条勇利の意見に従おう。面倒をかけてすまないな」
「いえ、これも何かの縁ですから」
女性を背負うと勇利は再びドキッとする。背中に当たる身体の感触と体温、心地良い香りが弥を彷彿とさせ過去を思い起こさせる。最初はちょっと危ない人物かと思ったが、受け答えはしっかりしており案外まともな人間なのかもと思う。なにより弥に酷似しており、遠い親戚や生き別れた双子の妹とか様々な考えがくるくると頭を支配していた。
樹木につけた目印を頼りに本線に戻りつつ、背負った女性のことを推理する。一方、『それ』の方も初めて出会いコンタクトを持つことになった人間である勇利を、つぶさに観察しその人間性を推し量っていた。
それの目的は地球という惑星が存続させるに足るものかどうかであり、その判断材料の一助として人間が地球に及ぼす影響やその存在価値も考慮されるものだと踏んでいる。人間の進化の結果、それが地球環境をも変化させる領域まで来ており看過することはできない。
反面、人間の進化により救われ保護されたり、より良いものへと昇華されている物事も多数あり安易に断罪できる状況にもない。地球の存亡、ひいては人類の存亡を判断するために人となったそれに対し、初めてコンタクトを取ることとなった人物が弥に好意を持つ勇利であったという点は、ある意味人類にとってプラスと言えた。
本線に戻ると一旦女性を降ろし、携帯電話で譲へと連絡を取る。事情を説明し一人で大丈夫だと伝えると再び背負い下山を始めた。本来ならば数人で交代しつつ下山すべきところだが、勇利はこの女性が気になって仕方がなく下山中にいろいろと聞いてみようと考えている。二人きりでないと聞けない類の話もあり、ここぞとばかりに勇利は質問を切り出していく。
「あの、さっきも聞いたんですが。お名前ってなんて言うんですか?」
「名前か。実は困っていたところなんだ。空条勇利はなんて名前が良いと思う?」
「え? どういう意味ですか?」
「私には名前が無いんだ。何か似合う名前をつけてほしい」
予想外な発言に勇利は言葉を失う。日本語ペラペラで、名前が無いなんて発言はおかしく、どういう人物なのかも理解ができない。
「記憶喪失とかで名前を思い出せないって意味ではないんですよね?」
「そうではない。少々困惑させているとは思うが、言葉通り名前が無いのだ。適当に名付けてくれると有難い」
受け答えは終始一貫しっかりしており、それにより本当に名前が無いということが分かる。しかし、成人女性で名前が無いなんていうことも一般的には考え難く、何か事情があるのだと割り切る。いずれにせよ、名前がないと接しにくく考えてあげるのが現状得策であり、勇利は頭の中に浮かぶ一つの名前を告げる。
「君島弥、ではどうでしょうか?」
「君島弥? 異存は無い。ありがとう、私の名前は君島弥にする」
あっさりと受け入れる女性に対して驚くも、弥の生まれ変わりが現れたように感じ嬉しくなる。それと同時にこれから先の関係を想像し、どう関わって行くべきかという問題点も出てくる。相手の立場が未だはっきりと掴めない現状、口説くにも口説けずどう攻めて行くべきか思案する。
普通の相手ならばこの事件を機に親密になれる自信もあるが、この相手は掴みどころもなく身元もよく分らず勇利でも戦略が立てられない。背中から伝わる女性の体温を受けつつ考えていると、耳元でふいに名前を呼ばれる。
「空条勇利にお願いがあるのだが良いか?」
「ええ、出来ることなら何でもしますよ」
「では今日から私の伴侶となってはくれまいか?」
「はぁ!?」
素っ頓狂な返事をし勇利は肩越しに見つめる女性へと振り向く。
「は、伴侶?」
「そうだ」
「それは詰まる所、結婚してくれということですか?」
「そう取って貰っても良い」
「初対面でお互いに何も知らない者同士ですけど?」
「これから知って行く楽しみがあると考えられないか?」
女性は至って平静に語っており、その表情から伴侶発言が冗談とも取れない。いくら外見が弥に似ているからと言っても、中身は全然違う人間であり言葉使いも性格も違う。にも関わらず、この人物から受けるは親近感は生前の弥と被るところがある。
予想もしてなかった出会い方、予想もしてなかった言動の数々に勇利の頭は混乱気味となる。しかし、女性が口にした次の言葉を聞き勇利の心は大きく揺れた。
「澄み渡った綺麗な青空。私はこれを見るために生まれてきたのかもしれない」
「キャパシティに問題があるのか。そもそも人間とはこんなものなのかもしれないが、実際に経験するとなかなかに不便なものだ」
『それ』は自身に起きている現象を冷静かつ客観的に捉えつつも、現状を打開する術もなく、このままでは生命活動に支障を来たすことも理解していた。ただ、今持ち得る思考と肉体の限界の齟齬によりどうすることがベストなのかを計り兼ねている。
木の根元に座り込み出血している足を見つめるが、特段の感情は湧かない。むしろ何故靴の物質化をしなかったのか、それを忘れるような人間という存在になった自分自身に興味が湧いている。
「面白いな人間は。完璧でないゆえの美しさと脆さとは良く言ったものだ。全てにおいて目が離せない。そして数日もすれば私は私の使命すら忘却し、より人間となるのだろうな」
出血している足もそっちのけで、それは自身の手や顔をペタペタと触り、感覚を楽しんでいる。全てが新しい経験であり、全てが自身の今後の動向を決める。地球の存亡が差し迫っていることすら忘れ、興味の対象として降りた自分自身にそれは没頭していた。
足場の悪い茂みを掻き分けながら勇利は林の奥へと進む。木の幹に白いチョークで目印をつけつつ歩みを進めるが、自身が見た白い物体は見当たらない。
「やはり気のせいか。こんな足場の悪いところを進んで歩く人間なんていないしな。とっとと元の道に戻るか……」
崖付近まで来ると見切りをつけて踵を返す。しかし、次の瞬間、通り過ぎた木の根元に座り込む女性を見つけ驚き飛び退く。
「び、びっくりした! ちょっと、アンタこんなところで何を……」
真っ白い民族衣装のような服を着たその女性の顔を見た瞬間、大きな鼓動と共に勇利の中の時が確実に止まる。
「き、君島先生!?」
勇利にそう言わせしめるほど女性の容姿は弥に似ており、女性は座り込んだままじっと勇利を見つめている。容姿は疑いようのないほど完全に弥であるが、事件で亡くなったことも勇利自身が見て確認している。
一つ違う点があるとするならば、瞳の色が日本人離れした青色の光を発しているところになる。疑問や戸惑いや驚き、様々な感情が交錯する中、女性の足から見られる出血に気がつき我に返る。
「あ、足大丈夫ですか!?」
焦りながら駆け寄ると女性が初めて口を開く。
「貴方は誰?」
「え?」
「貴方は誰?」
弥と瓜二つの顔とその声色にドキリとするが、聞かれた問いに素直に答える。
「僕は空条勇利。貴女は?」
「私は誰でもない」
「えっ? 誰でもない?」
「空条勇利、人間とはとても面白いな。なぜこんなにも脆く頼りないのだろうか。それでいながら永きに渡って地球で繁栄し続けている。興味引くことばかりだ」
怪我をしながらも平然とした顔で人類の繁栄を語っており、その様から普通の精神状態にないであろうと勇利は推測する。服装や言動から普通ではなく靴を履いていないことからも、どこかの施設から抜け出てきた可能性を一番に考える。登山や一般人の遭難の可能性もなくもないが前者が濃厚だ。
いずれにせよ怪我人をこのまま放置する訳にもいかず、弥に似ていることに戸惑いを感じつつも、思考を切り替え勇利は問いかける。
「取りあえず足の怪我の手当てをしてもいいですか?」
「そうして貰えると助かる。空条勇利は良い人間だな」
「普通ですよ。困っている人がいたら助ける。誰だってそうすると思います」
バッグを降ろし簡易救命セットから消毒液と包帯を取り出すと、手際よく手当を進める。消毒液を掛ける際に痛そうな顔をしており、人間らしい感覚はあるのだと理解する。包帯を巻く際には気づいていたが、傷口は浅くはなく医療施設に搬送した方が良いと判断していた。
「応急処置は済みましたが、すぐに病院へ行った方がいいですね。僕が背負いますので下山して病院に行きましょう」
「そうか、では空条勇利の意見に従おう。面倒をかけてすまないな」
「いえ、これも何かの縁ですから」
女性を背負うと勇利は再びドキッとする。背中に当たる身体の感触と体温、心地良い香りが弥を彷彿とさせ過去を思い起こさせる。最初はちょっと危ない人物かと思ったが、受け答えはしっかりしており案外まともな人間なのかもと思う。なにより弥に酷似しており、遠い親戚や生き別れた双子の妹とか様々な考えがくるくると頭を支配していた。
樹木につけた目印を頼りに本線に戻りつつ、背負った女性のことを推理する。一方、『それ』の方も初めて出会いコンタクトを持つことになった人間である勇利を、つぶさに観察しその人間性を推し量っていた。
それの目的は地球という惑星が存続させるに足るものかどうかであり、その判断材料の一助として人間が地球に及ぼす影響やその存在価値も考慮されるものだと踏んでいる。人間の進化の結果、それが地球環境をも変化させる領域まで来ており看過することはできない。
反面、人間の進化により救われ保護されたり、より良いものへと昇華されている物事も多数あり安易に断罪できる状況にもない。地球の存亡、ひいては人類の存亡を判断するために人となったそれに対し、初めてコンタクトを取ることとなった人物が弥に好意を持つ勇利であったという点は、ある意味人類にとってプラスと言えた。
本線に戻ると一旦女性を降ろし、携帯電話で譲へと連絡を取る。事情を説明し一人で大丈夫だと伝えると再び背負い下山を始めた。本来ならば数人で交代しつつ下山すべきところだが、勇利はこの女性が気になって仕方がなく下山中にいろいろと聞いてみようと考えている。二人きりでないと聞けない類の話もあり、ここぞとばかりに勇利は質問を切り出していく。
「あの、さっきも聞いたんですが。お名前ってなんて言うんですか?」
「名前か。実は困っていたところなんだ。空条勇利はなんて名前が良いと思う?」
「え? どういう意味ですか?」
「私には名前が無いんだ。何か似合う名前をつけてほしい」
予想外な発言に勇利は言葉を失う。日本語ペラペラで、名前が無いなんて発言はおかしく、どういう人物なのかも理解ができない。
「記憶喪失とかで名前を思い出せないって意味ではないんですよね?」
「そうではない。少々困惑させているとは思うが、言葉通り名前が無いのだ。適当に名付けてくれると有難い」
受け答えは終始一貫しっかりしており、それにより本当に名前が無いということが分かる。しかし、成人女性で名前が無いなんていうことも一般的には考え難く、何か事情があるのだと割り切る。いずれにせよ、名前がないと接しにくく考えてあげるのが現状得策であり、勇利は頭の中に浮かぶ一つの名前を告げる。
「君島弥、ではどうでしょうか?」
「君島弥? 異存は無い。ありがとう、私の名前は君島弥にする」
あっさりと受け入れる女性に対して驚くも、弥の生まれ変わりが現れたように感じ嬉しくなる。それと同時にこれから先の関係を想像し、どう関わって行くべきかという問題点も出てくる。相手の立場が未だはっきりと掴めない現状、口説くにも口説けずどう攻めて行くべきか思案する。
普通の相手ならばこの事件を機に親密になれる自信もあるが、この相手は掴みどころもなく身元もよく分らず勇利でも戦略が立てられない。背中から伝わる女性の体温を受けつつ考えていると、耳元でふいに名前を呼ばれる。
「空条勇利にお願いがあるのだが良いか?」
「ええ、出来ることなら何でもしますよ」
「では今日から私の伴侶となってはくれまいか?」
「はぁ!?」
素っ頓狂な返事をし勇利は肩越しに見つめる女性へと振り向く。
「は、伴侶?」
「そうだ」
「それは詰まる所、結婚してくれということですか?」
「そう取って貰っても良い」
「初対面でお互いに何も知らない者同士ですけど?」
「これから知って行く楽しみがあると考えられないか?」
女性は至って平静に語っており、その表情から伴侶発言が冗談とも取れない。いくら外見が弥に似ているからと言っても、中身は全然違う人間であり言葉使いも性格も違う。にも関わらず、この人物から受けるは親近感は生前の弥と被るところがある。
予想もしてなかった出会い方、予想もしてなかった言動の数々に勇利の頭は混乱気味となる。しかし、女性が口にした次の言葉を聞き勇利の心は大きく揺れた。
「澄み渡った綺麗な青空。私はこれを見るために生まれてきたのかもしれない」