ストリート
午後も少し回った時間。
栞は大学のカフェテラスにひとり座ると、講義ノートと一緒に音楽プレーヤーを取り出した。
慣れた手つきで操作して、最近繰り返し聴いているプレイリストを呼び出す。
イヤホンから音楽が流れ出すと、各々が好きなことをして過ごしているカフェテラスの喧騒の中でも、自分のいる空間だけが切り取られた気がするから不思議だ。
流れてくるのは、甘くのびやかな男声。
初めて足を止めてから、幾度か通っている、ストリートミュージシャンのRYOTAの歌声だ。
手元に広げたノートを見ている体をとりながら、意識は耳元から流れ込む歌へと向けられる。
特にお気に入りの1曲が流れてくると、栞の思考は最近の落ち込みの原因へと向かってしまう。
1ヶ月も前にさかのぼる。
きっかけは些細なことだったように思う。
というのも、もう詳細すら思い出せないようなくだらないことだったのだろう。
恋人である敬介と喧嘩した。
栞自身、取得が難しいと言われている資格試験のための勉強で疲弊していた。
敬介は年の離れた妹のために、定年を迎えた親の代わりに学費を稼ぐのに時間を費やしていた。
結果的に、会えない日々が続き、ようやく久しぶりに会えたのが1ヶ月前。
会えない間に溜まったストレスや不満を、お互いにぶつけてしまったのだ。
「明里ちゃんとは遊びに行く時間あるのに?」
「妹なんだから、時間割くのが普通だろ!?」
「私だって会いたいの我慢してるのに?」
「だからこうして会ってるだろ?」
「わかってくれないならもういい!」
「ああ、そう。わかった。」
互いに売り言葉に買い言葉で、エスカレートしてしまった。
敬介が妹である明里のために一生懸命バイトしているのも知っていたのに、自分の彼に会いたい気持ちが勝って、よく考えることもせずに感情のままに言葉を放ってしまった。
妹と恋人どっちが大切なの、だなんて馬鹿げた質問だと、栞自身よくわかっていた。
わかっているからこそ、自分が不用意に放ってしまった言葉で敬介を傷付けてしまたことに、ひどく後悔した。
後悔先に立たずとはよく言ったものだ。
けれど、栞はここで立ち止まるつもりはない。
好きだからこそ、会いたいと願った。
好きだからこそ、共感を得られないことに不満を抱いた。
好きだからこそ、彼を傷付けたことに後悔した。
好きだからこそ、このままにはしたくない。
そんな栞の気持ちを、RYOTAの曲が背中を押してくれる気がした。