僕を止めてください 【小説】
仕事場に着くと、午前中は前日にまとめた例の23番遺体の記録を鑑定書に作り上げる作業に取り掛かった。
業界的にも、社会的にも大いに諸問題を抱えているこの法医学分野なのだが、近年、ようやく“司法解剖標準化ガイドライン”と呼ばれる、いわゆる「どこの法医学教室でも、とりあえずこのレベルの司法解剖と鑑定書は最低ライン作って欲しいよね」という、全国の大学でまちまちな司法解剖レベルの標準化を狙った指針書が法医学会で作成された。
驚きである。それまで無かったというのがびっくりである。過去から現在まで、どれだけこの業界が視野の狭い範囲でしか自分の社会における役割というものを認識していなかったか、という現れだろう。いや、この業界のせいだけではない。それを容認していたのは司法界、そして国家警察の資質や、そのもの自体が根本的な原因として、そう、法医学の業界よりも根本的な原因として、この状況に君臨しているように思われる。それはつい先日まで、司法解剖の諸経費が大学側の手弁当でほとんどを賄われていたという驚愕の事実にも現れている。
僕はこの標準化指針が公表されてから、鑑定書の書式の標準化というのも司法解剖のレベルに寄与するという考えを持った。なぜなら、各法医学教室において、鑑定書の枚数や内容に始まり、画像のアングルや引用の方法などに至るまで、本当に驚くほどの雑多な多様さで(驚いてばかりいる…すみません)記録の方法に差異があるからだ。それは各大学がどのような教育方法を取っていて…もしくは取ってなくて、それを踏襲しているかという伝統のようなものでもある。
僕の出身大学の鑑定書は比較的整理されていたが、公開されている他の機関の鑑定書を見て色々思うところが多かった(ソフトな言い方だ)。ものによって、本人とわかる写真が一枚もなかったり、ひどいものでは“1枚鑑定書”があったりする。
法医学会のホームページの司法解剖標準化ガイドライン…ゆくゆくはここに付録として、岡本文書館謹製の「司法解剖標準化鑑定書」がPDFですぐダウンロードできるように編集されないかなぁと願いつつ、僕は忙しい実務の合間にこの研究を進めていた。