僕を止めてください 【小説】




 手錠で繋いでまで僕の判断を確かめたかった幸村さんの執念のようなものをその傷跡から感じ、僕はため息をついた。眠っている幸村さんの横顔を眺めながら、誤解が解けなかったらあの後どうなっていただろうと考えた。あれで彼には合格だったというのも、今考えると奇跡のように思えてきた。腐りかけた細い吊り橋を、落ちる直前に渡りきった気分とでも言おうか。

 最後、どうやって終わったんだっけ…と、僕は気が狂って半分朦朧としていたあの時の記憶を繰っていた。最後の写真…46枚目…自動車に轢かれた轢死体…事故? いや…あの現場写真からはなにか殺人の異臭を感じた。それを幸村さんは…その写真だけ僕に念を押すように尋ねていたような気がする。

(本当か? 本当にこれは自殺じゃないのか!?)
(そうだ…これが自殺なわけねぇよな…やっぱりそうだ…やっぱり…君は間違ってない)

 そう言って僕をじっと見て…そのあと幸村さんは壁を拳で力任せに叩いていた。その時は意味がわからなかったが、思い出すとその写真に対してだけ態度が違っていたのが記憶の中で浮き彫りになった。

 “これが自殺なわけない”

 これはよく考えると、前提として“これは自殺だと言われているが”と言う一文がこの文の前に来るべきだ、と僕は推測した。

 “自殺だと言われているが、やっぱりこれは自殺のわけがない”
 
 もしや…と僕は気がついた。偽装殺人なのか。しかももう解決済み…もしくは未解決で時効の事件の。そしてこれは幸村さんと何らかの関係がある。それを最後に僕に判定させたかったということなのだろうか。幸村さんが殺人だと気づいたように、僕もそれを自殺ではないと言うのか言わないのか、それを彼は試したかったのか?

 つまりこういうことではないだろうか。と僕は想像してみた。

 幸村さんはこれを自殺ではないとわかっていたのに、事件は自殺として処理された。そしてそれは幸村さんにとって特別な事件となった。その悔しさがあのとき壁を殴ることで表現されていたということかも知れない。そしてそれはもしかしたら、幸村さんが誰が殺人犯だったかをすでにわかっていたということかも知れなかった。

 これはあとで聞いてみる必要がある。それだけは僕は聞いておかねばなるまいと感じた。これは法医学者としての責務のようなものとしてそう思った。まず誰がその時の検視をして、誰が司法解剖したか、だ。それが前任者の前橋准教授だったとしたら…それが幸村さんの怒りの原因のひとつである可能性も出てきた。




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