僕を止めてください 【小説】
「ダメだろ、お前。一人で泣いてんじゃねーよ」
掛けたはずの鍵が開いていた。戸口に、合鍵の束を指でくるくる回しながらよれよれのスーツを着た彼が立ってた。いつから見られてたんだろう? 羞恥に顔が赤くなった。ハッと気がついて、あわてて泣いている顔を背けた。
「その様子だと…自殺だな…ホトケさん」
その男は疑うこと無くそう言った。その発言を他の捜査官が聞いたら、驚くし問題になるだろう。だが彼は躊躇なくそれを口にした。
「たぶん…」
「死因は?」
「凍死かと……臓器判定と血液検査待ちです…」
「身元はとりあえず歯科医会か」
「写真と歯科所見はまとめてそこの封筒に入ってます」
僕は急の来客にどぎまぎして、あわててもう使わない器具を片付け始めた。慌てているのに加えて、まだ興奮で手が震えている。思わずカシャンと鉗子を取り落としてしまった。メガネが曇っている。急いでしゃがみ込んで台に隠れて彼に見えない所で、鉗子を拾うふりをして白衣の袖で涙を拭った。だが、顔を上げると彼が僕の前に一緒にしゃがみこんでいた。
「見るな…」
「終わってんなら早く片付けろ。家まで送ってやる」
僕は無言で頷いた。先に立ち上がった彼が僕の手を取る。その仕草に僕はどうしていいかわからず思わずうつ向いて言った。
「見るな…よ…」
手を引き上げられて立ち上がったその途端、彼の胸の中に抱きしめられていた。脂と体液にまみれた手袋をしたままの僕は抱きしめ返すことも出来ず、せめて彼の服を汚さないように、手を宙に浮かせたまま、棒切れのように突っ立っていた。