僕を止めてください 【小説】
あまりに怖ろしくてなにも言い返せない。漠然とした概念としての《死神》しか僕の意識にはなかった。サンタ・ムエルテも死の聖女であり、死の擬人化であり、僕にとってはオカルティックでポジティブなイメージしかなかった。だが今、それは架空の鎌でもなく、架空の骸骨でもなく、つまりそれは僕の利己的で現実的な渇望を叶えるための隠された謀略だった。オカルトでもなんでも無い。具体的な行為と隠された意図を伴った被害者であり受け身に見える罠。それを今、ありありと幸村さんから提示されて、僕はそのリアリティに打ちのめされている。二ヶ月ほど前、僕は自問自答していた。もやもやがあった。“そろそろ本当の理由を思い出した方が良いよ”と心の奥の何かに言われた。
(……死神であり続けることに何らかの隠された利益がある…)
(…隠しているということは隠蔽すべき何らかの理由もあるだろう…)
(“僕は本当に死神を辞めたいのか?”)
ようやくわかった。二ヶ月前の問いの答えが。
これが僕の『クローゼットの中の骸骨』
否、『地下室に閉じ込めたゾンビ』
違う。
ゾンビのふりをした狡猾な悪魔
だったんだ。
ああ、なにを勘違いしていたんだろう。
自分のあまりに周到な自己欺瞞に吐き気がした。僕は深い欲望の虜だというだけ。死神なんかじゃない。そこには大いなる運命も使徒としての使命も神の裁きもないんだ。佳彦の言ったとおりだ。僕はただの『犯罪に誘って殺人を唆す悪魔』だ。自分の奥底にある絶望的な空虚を死で撃滅したいという己の身勝手な渇望に忠実な、ただの《悪魔》なのだ。最も怖ろしいことは、殺してくれと頼まれた人間は嘱託殺人となり罪に問われ法の裁きを受けるのに、殺してくれと懇願した本人は、それが成功しようと未遂であろうと、罪に問われないことだ。それを大学の授業で知った時、こんな悪魔的な命の解釈があるのかと僕は慄然とした。
「お前は二人の父親に二つに引き裂かれてるのか? 一人はお前を置いていっちまった本当の父親だ。その父親に連れて行って欲しくてお前は自分を殺させようとエグい手段で男を無意識に操って魅了する。もう一人は小島くんだ。コイツを死なせたくないばっかりにお前は無意識の希死に抗って、自分を自分に殺させないように、男を誑かさないための孤独を選ぶ」
幸村さんはこっちを見た。何故か悲しそうな顔をしていた。